ソロモンの鍵
ソロモン
旧約聖書によると、ソロモンは古代イスラエルの王(2代目)『ダビデ』と『バト・シェバ』の間の子〈注4〉であり、知恵深き王とされています。
ソロモンの統治下において、イスラエル王国は(主に経済面において)大いに発展したと伝えられています。
その一方で、彼の大事業のために、民衆には重税と賦役が課されたとか。
また、娶った多くの妻たちが生まれ故郷の宗教をエルサレムに持ち込んだので、ソロモンは異教の神々の神殿も建てるようになったという話もあります。
旧約聖書の記述を信じるなら、ソロモンの死後に起こったイスラエル王国の分裂は、上記に見られる『負の遺産』もその理由となります。
宗教(一神教)的にも政治的にも評価に疑問符が付く王ですが、その伝説が広く知れ渡っているのは確かです。
●画像引用 Wikipedia
『ソロモンの鍵』について、皆さんはご存じでしょうか。
1986年7月に発売されたアーケード用及びファミコン用ゲームのことではありません。
※なお、同ゲームはアーケード用とファミコン用が同時発売されました。
いや、全くの無関係というわけではありませんが、この記事で取り扱うのは、上記ゲームのテーマとなった『グリモワール(魔術書)』のことです。
古代イスラエル(イスラエル王国)の王(3代目)『ソロモン』は、羊飼いから王にまで成り上がった『ダビデ』の息子とされています。
旧約聖書には明確な記述はないものの、このソロモンは、古くから魔術を操る王としての伝承が残っており、14世紀以降には、彼の名前に仮託された複数の魔術書が作られました。
そんな魔術書の代表が『ソロモンの鍵』なのです。
『ソロモンの鍵』は、『ソロモンの大きな鍵』と『ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)』の2種類に分かれており、前者は主に『7惑星(太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星)〈注1〉』の精霊の力を借りる魔術書、そして後者は『72柱の悪魔〈注2〉を使役する方法(ゴエティア)』を含んだ魔術書となっています。
※ゴエティアは、レメゲトンの第1部の表題。
ソロモンが魔術師と見なされるようになった理由の1つは、実際のソロモンが多神教的な思想を持っており、多くの神々を祀っていたことに由来していると思われます。
人身供犠を伴う崇拝儀式が行われたことで悪名高いバアル神をルーツとする悪魔――『バエル』が72柱の悪魔の筆頭とされているのも、そのことが関係しているでしょう。
※イスラエル王国があった『カナン(古代パレスチナ)』では、バアル崇拝が盛んでした。
こうした魔術には本当に効果があるのか――誰でもそんな疑問は抱くと思います。
また、『ソロモンの鍵』は(旧約聖書に登場する)ソロモンが執筆したわけではありませんが、ゴエティアについて言えば、実はソロモンと全く無関係ともいえない〈注3〉のです。
というのも、ゴエティアに記された『72柱に悪魔』には、カナンにおいて崇拝されていた神々もいるからです。
ただ、そのことを語る前に大事なポイント(?)が1つあります。
そもそも、ソロモンという古代イスラエルの王は実在したのでしょうか?
【注釈 1~3】
■注1 7惑星(太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星)
この場合の惑星とは、『現代天文学的な意味での惑星』ではなく、『占星術的(古典的)な意味での惑星』なので、太陽と月も惑星に含む。
■注2 72柱の悪魔
『Wikipediaのノート』を読むと、ゴエティアの悪魔の総称について議論されている形跡が見られるが、『72柱』の呼称は日本では広く認知されているので、この記事でもそれを踏襲した。
『柱』とは日本における神々の数え方である。
ゴエティアの悪魔の中には古い神々をルーツとする霊もいるので、このブログでは(『彼ら』に対する最低限の敬意と礼儀も兼ねて)『柱』を付けて悪魔たちを呼称する。
■注3 ゴエティアについて言えば、実はソロモンと全く無関係ともいえない
(『ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)』の一部である)ゴエティアについては次回以降で解説していくが、『ソロモンの大きな鍵』がソロモンと結びつけられた理由に関しても、その背景を考察できないこともない。
ソロモンの在位期間は紀元前1011年頃~紀元前931年頃とされている。
上記の在位が厳密な意味で正確ではなかったとしても、その頃は長きに渡って繁栄してきたバビロニアが衰退した時期と重なっている。
古代イスラエルの年表を信じるなら、ソロモンの即位は『イシン第2王朝(バビロン第4王朝/紀元前1153年~1022年)』が滅亡して間もない頃である。
※イシン第2王朝以前は『カッシート王朝(バビロン第3王朝/紀元前16世紀半ば?~1155年)』が約400年間続いていた。
バビロニアと言えば、7惑星を含めた占星術が発展したことでも知られており、各惑星とメソポタミアの神々を以下のように対応させた。
●太陽⇒シャマシュ(太陽神)
●月⇒シン(月神)
●水星⇒ナブー(知恵と書記の神)
●金星⇒イシュタル(豊穣と戦いの女神)
●火星⇒ネルガル(冥界と戦いの神)
●土星⇒ニヌルタ(別名:ニニブ・農耕と戦いの神)
●木星⇒マルドゥク(バビロニアの国家神)
バビロニア(イシン第2王朝)の滅亡後、その地の占星術師や呪術師の一部が(イスラエル王国があったとされる)カナンに移住したと仮定した場合、多神教的な傾向のあるソロモンが、古き伝統を持つバビロニアの知識を尊重し、その神々を敬った可能性もあり得るだろう。
『ソロモンの大きな鍵』は『7惑星の精霊の力を借りる魔術書』とされている。
ということは、ソロモンが『7惑星と関係するメソポタミアの神々(あるいはそれをルーツとするカナンの神々)』を祀り、願望成就のために祭儀を行っていたとすれば、結果として、それは『ソロモンの大きな鍵』の意図と(方法は違っても行為の意味としては)同じことになる。
■注4 ソロモンは古代イスラエルの王『ダビデ』と『バト・シェバ』の間の子
以下は、旧約聖書により伝えられた『ソロモンが生まれるまでの経緯』である。
バト・シェバは、元々ダビデの家臣(ヒッタイト人)『ウリヤ』の妻だった。
ウリヤが外征に従軍していた時のこと――ダビデは散歩中に目にした水浴びをするバト・シェバの姿に欲情し、彼女と関係を持つようになった。
バト・シェバが妊娠すると、都合が悪くなったダビデはウリヤを呼び戻し、その期間中にウリヤとバト・シェバを性交させて自分の子であることを誤魔化そうとした。
しかし、ウリヤは戦争中における古来からの習慣に背くことを望まず、 彼は自宅ではなく王宮の兵士たちと共に過ごした。
そこで、ダビデはウリヤを激戦地に送り、なおかつ、ヨアブ(将軍)などの仲間たちにウリヤを見捨てるよう命じた上で彼を戦死させた。
ウリヤの死後、ダビデは未亡人となったバト・シェバを妻の1人として迎えたが、神はダビデの行いに怒り、ダビデとバト・シェバの間の子は、生まれた数日後に死亡した。
その後、再び2人の間に生まれた子がソロモンである。
ソロモン王の実在
メルエンプタハ石碑
『メルエンプタハの石碑』は、古代エジプトのファラオ『メルエンプタハ(在位:紀元前1213~1203年)』の遠征を記念して造られた石碑です。
1896年、この石碑はエジプト学者『フリンダーズ・ピートリー(Sir William Matthew Flinders Petrie)』により、テーベで発見されました。
※現在はカイロの『エジプト考古学博物館』にて所蔵。
『メルエンプタハの石碑』の主な内容としては、エジプトに侵入してきた『リビア人(古代リビュア)』との戦いにおいて、メルエンプタハが勝利したことについて記されています。
その石碑に書かれた28行のうち、最後の3行にカナンのことが言及されていました。
カナンはあらゆる災いに略奪された。
アシュケロンは征服された。
ゲゼルは捕らえられた。
ヤノアムは跡形もなくなった。
イスラエルは荒らされ、その種を失った。
フル(Hurr/カナンのこと・古代パレスチナの呼称の1つ)はエジプトにより寡婦にされた。
上記の原文(ヒエログリフで記載)において、アシュケロン・ゲゼル・ヤノアムには都市を示す限定符が加えられていたので、それらがカナンにおける古代の都市であることがわかりました。
一方、イスラエルには『人々(people)』を示す限定符がありました。
『The Oxford History of the Biblical World(Michael D. Coogan 編集)』という書籍によると、これは『都市国家の人々ではない遊牧民の集団』を意味し、当時のイスラエルが半遊牧民〈注4〉だったことを示唆しているとか。
また、「種を失った」という表現は、その国の穀物庫が破壊されたことを意味し、当時においては敗戦国(敗戦民)に対してよく使われたそうです。
上記の件については異論もありますが、少なくともカナン地域に『イスラエル』と呼ばれた人々の集団がいたこと、そして、当時の彼らが都市の居住者ではなかったことが推測できるでしょう。
●画像引用 Wikipedia
ソロモンの名前が言及されているのは、(古代では)旧約聖書をはじめとするユダヤ教関連の文献のみであり、我々がソロモンについて知り得るのは、概ねこの宗教文書からもたらされる一方通行の情報です。
古代イスラエルに関する情報としては、古代エジプトの戦勝碑である『メルエンプタハ石碑〈注:左画像参照〉』――紀元前1207年の出来事を記したとされる――には、『イスラエル』という言葉があったそうです。
この石碑は、古代イスラエルについて言及したとされる最古の記録です(ヒエログリフで記載)。
他にイスラエルのことを記した遺物には――
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フェニキア文字で記載。アラム側の記録。
『ダビデ家(ダビデ王朝)』に対する戦争のことが記されているとのこと。
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――があります。
※ただし、内容については各碑文で議論あり。
上記4つの碑文において、イスラエルのことが言及されているそうなので、『古代イスラエルに相当するような人々の集団(共同体あるいは王国)』は存在していたと思われます。
ただ、古代イスラエルの民(ヘブライ人/古代ユダヤ人)がカナンに侵攻したのは、紀元前12世紀頃とされています。
一方『メルエンプタハ石碑』によると、紀元前13世紀の終わり頃には、イスラエルが『カナン地域に住む異民族』として(外国であるエジプトに)すでに認識されていたことになり、年代が微妙に合わなくなります。
また、この国を建設したのが、本当にシュメールの都市『ウル(シュメール語:ウリム/楔形文字:𒋀𒀊𒆠 /urim5-ki)』出身の民族なのかどうかも確証はありません(旧約聖書における『カルデアのウル』はユダヤ人の祖とされるアブラハムの故郷)。
ヘブライ人が、メソポタミアの楔形文字を使用した形跡はないからです。
※ついでに言うと、『ヒエログリフ・ヒエラティック』――2つともカナンの前にヘブライ人が住んでいたとされる古代エジプトの文字――を使用した形跡もありません。
歴史を学ぶ者にとって、資料に対する注意深い観察は必要なことです。
先述した通り、現在までに発見・解読されている考古学的・歴史的資料から確信できるのは、古代パレスチナ地域には、旧約聖書で語られた(イスラエル王国などの)話の元ネタとなった勢力が存在していた可能性があるということだけです。
そして、上記のような王国があると仮定するなら、その王がどんな祭祀を行っていたかも推測できます。
古代パレスチナ地域では、後世のユダヤ教のような一神教はありませんでした(古代イスラエル時代は拝一神教だったといわれています)。
ひょっとしたら、『ヤハウェ』という神の存在も怪しいかもしれませんが、そのルーツとなった神は崇拝されていたと思われます。
こちらの地域で崇拝されていた神々は、シリアの地中海岸にあった古代都市国家『ウガリット』の宗教と深く関係していました。
そうした神々の神話は『ウガリット神話』、あるいは古代パレスチナ地域の名称に因んで『カナン神話』と呼ばれています。
故に、その地の王は必然的にカナン神話の神々――エール、バアル、アナト、アスタルト、メルカルト(モロク)など――を崇拝する祭祀を行っていました。
もちろん、古代イスラエルの王も例外ではありません。
旧約聖書では、ソロモンをはじめ、古代イスラエルの王が異教の神々(特にカナン神話の神々)を崇拝していたと非難されていますが、それもそれはず――なぜなら、それがこの地域の『常識的な宗教・風習』だったからです。
様々に伝えられるソロモン神話を考える上で、まずは上記のことを踏まえる必要があります。
では、今回はここまでとし、次回はゴエティアとソロモンの関係について探っていきたいと思います。
執筆完了までお待ちを!
【注釈 4】
■注4 当時のイスラエルは半遊牧民
旧約聖書におけるヘブライ人のルーツの1つとして考えられているのが、エジプトの文書において『アピル(Apiru)』――シリア(西セム諸語)では『habiru(ハビル)』、メソポタミア(アッカド語)では『ハービル(ḫābilu)』――と呼ばれた人々である。
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※アッカド語における『ハービル(ḫābilu)』の意味は、『wrongdoer(悪事を働く人・非行者・犯罪者・加害者)』である。
古代エジプトやカナンでは『 l 』の代わりに『 r 』が発音されるので、アッカド語の『ハービル(ḫābilu)』は、『西セム諸語』――カナン諸語・アラム語・ウガリット語など――を使うカナン(古代パレスチナ)・シリア方面においては『habiru(ハビル)』と発音される(★発音についての参考サイト)。
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ハビルとは、『ならず者・無法者・略奪者・反乱者・傭兵・使用人・奴隷(債務によって奴隷的身分になった者)』などの社会層の人々を指す言葉とされている。
メソポタミアの都市の1つ――ラルサの王『リム=シン1世(紀元前1822年~紀元前1763年)』の時代、シュメール人はメソポタミア南部に住むアラム系の遊牧民をハビルと呼んでいた。
ハビル、またはアピルという言葉は、エジプト・カナン・シリア・ヌジ(イラク北部のキルクーク付近)・アナトリアなどの文書でも発見された。
ハビルの単語は、紀元前18世紀から12世紀までの期間における数百の文書に登場し、シュメール語の『(𒇽)𒊓𒄤/(lu2-)sa-gaz/サ・ガズ(意味:強盗・人殺し・犯罪者)』――アッカド語では『šaggāšu(シャッガーシュ)』に相当――頻繁かかつ交互に使用された(★該当のシュメール語・アッカド語の参考サイト)。
つまり、メソポタミアの文明圏において、ハビルは強盗殺人を日常的に行う盗賊の類と見なされていたようだ。
旧約聖書の『ヘブライ人』という言葉は、ハビルと同様に社会的なカテゴリーとして始まり、民族的なカテゴリーへと発展していった。
ハビルについて書かれた碑文が発見されて以来、これらをヘブライ人と結びつける説が多くなっている。
元々のヘブライ人が盗賊も兼ねた反遊牧民だったと考えるなら、旧約聖書に記された『カナン侵攻の実態(=盗賊的集団の侵略という可能性)』も見えてくるのではないだろうか。
参考・引用
■参考文献
●旧約聖書Ⅴ(サムエル記) 池田裕、旧約聖書翻訳委員会 訳 岩波書店
●旧約聖書Ⅵ(列王記) 池田 、旧約聖書翻訳委員会 訳 岩波書店
●ソロモンの大いなる鍵 無極庵
S・L・マグレガー・メイザース 編集、松田アフラ、太宰尚 訳 アレクサンドリア木星王 監修 魔女の家BOOKS
●ゲーティア ソロモンの小さき鍵
アレイスター・クロウリー 著、アレクサンドリア木星王 監修 魔女の家BOOKS
●ゲーティア ソロモン王の小さな鍵 無極 著 無極庵・くじら神殿
●聖書を読みとく 天地創造からバベルの塔まで 石田友雄 著 草思社
●真のユダヤ史 ユースタス・マリンズ 著 天童竺丸 監修・翻訳 成甲書房
●SUMERIAN LEXICON JOHN ALAN HALLORAN Logogram Publishing
●A Concise Dictionary of Akkadian Jeremy Black、Andrew George、Nicholas Postgate 編集、Harrassowitz Verlag
■参考サイト
●Wikipedia
●WIKIBOOKS
●Wikiwand
●ニコニコ大百科
●ピクシブ百科事典
●コトバンク
●goo辞書
●EFENDI.jp
●Nilestory.com
●聖書研究wiki@trinity_kristo(https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/33.html)
●無限∞空間(http://www.moonover.jp/bekkan/chorono/farao73.htm)
●創世記の新解釈☆ シュメール・ギリシャ神話による考察
●HUFFPOST
●赤羽八幡神社HP
●Asianprofile
●The Pennsylvania Sumerian Dictionary
●LE ORIGINI DEL LINGUAGGIO