【はじめに】
『密教の瞑想法――五相成身観』の後編では、テーマであるはずの『五相成身観(ごそうじょうじんかん)』については全く取り上げていません――その瞑想法を生み出した密教の思想的背景を探る内容となっています。
ある意味、この後編は『蛇足』ともいえますが、五相成身観を知るだけでなく、密教のルーツについて考察を深めたい方は、この先にお進みください。
アートマンの本質
プラジャーパティ
画像はブラフマー像と類似した『プラジャーパティ(प्रजापति/Prajāpati)』の彫像です。
ブラジャーパティとはインド神話の創造神であり、その名前には『生類の主』や『造物主』という意味があります。
ブラジャーパティという名前自体は、インド最古の宗教文献『リグ・ヴェーダ』でも言及されていますが、創造主としての形容語句として用いられており、複数の神格がこの名前で呼ばれていました。
『ヴェーダ時代(紀元前1500年~紀元前500年頃頃)』より後に確立したヒンドゥー教では、創造神ブラフマーが生み出した『ダクシャ』などの聖仙たちを指し、ブラーフマナ文献ではブラフマーのことを指しています。
ブラフマーは、宇宙の根本原理とされる『ブラフマン』を人格化した神です。
サンスクリット語の『動詞語根:ブリフ(bṛh)/意味:厚くなる・大きくなる・増加する』に由来するブラフマンは、元々『祈祷』を意味していたそうです。
※ブラフマンの語源については上記の説が主流ですが、これ以外にも諸説があります。
リグ・ヴェーダが編纂された時代(紀元前12世紀頃)、『宇宙的原理としてのブラフマン』は明確に考えられていませんでした。
この概念が登場するのは、ウパニシャッドが説かれるようになった時代以降のことです。
ただ、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』や『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』など最古のウパニシャッドが成立した頃(紀元前800年から紀元前500年頃)は、後代のヒンドゥー教のような神話体系は、まだ確立されていなかったと思われます。
故に、この頃のプラジャーパティは、ヒンドゥー教三大神の1柱としてのブラフマーではありません。
ただ、実質的にブラフマンと同等の存在と考えられていたようなので、ブラフマーの前身に当たる神格なのは間違いないでしょう。
●画像引用 Wikipedia
神々の王 インドラ
『インドラ(इन्द्र/Indra)』はバラモン教・ヒンドゥー教におけるデーヴァ(神々)の王です。
神々の飲料『ソーマ』により力を得て、『ヴァジュラ(雷電)』を振るう戦士の姿として描かれました。
バラモン教が主流だった時代、この神は巨大な蛇の怪物『ヴリトラ』を倒した(アーリア人の)英雄神として称えられました。
ヒンドゥー教においても、ヴリトラ退治の神話は継承されており、神々の王としての地位も変わりませんでしたが、より上位にはヒンドゥー教三大神が存在し、神としての圧倒的な優位性は失われました。
このことを象徴するかのように、神話においても、強力な敵対者たちに何度も敗北する情けない神として描かれるようになったのです。
共にプラジャーパティに師事したヴィローチャナとは後に戦うことになり、インドラは彼を戦死させましたが、その息子であるマハーバリには敗北し、天界を追放されることにもなりました。
※なお、インドラに敗北したヴィローチャナですが、戦車が壊れた隙を突かれて殺されたとのことなので、戦闘力においてインドラとの大きな差はなかったようです。
偉大な力を持つアートマンを認識したはずのインドラが数々の憂き目に遭うようになったのは、バラモン教とヒンドゥー教の思想上の違いが大きな要因と思われます。
つまり、インド神話をインド思想史の反映として見るなら、「(ウパニシャッドの物語において)インドラが認識したと思っていたアートマンは、実は誤りだったのではないか?」と考えられるようになったのかもしれないのです。
というのも、バラモン教に『インド土着宗教の要素=アスラ的要素』を取り込んで確立したヒンドゥー教では、身体を重要視する『ハタ・ヨーガ』という修行法があるからです。
そういう意味で考えると、ヴィローチャナが奥義とした『アートマン=身体自我説』は、インド主流派の思想においても否定し切れなかったようです。
●画像引用 Wikipedia
ルネ・デカルトと近世哲学
『ルネ・デカルト(René Descartes:1596年3月31日~1650年2月11日)』はフランス出身の哲学者・数学者です。
「我思う、故に我あり」という有名な命題で知られたその思想は、近世哲学における『合理主義哲学(Rationalism)』の祖とされています。
この思想は、『大陸合理主義・大陸合理論(Continental Rationalism)』とも呼ばれており、イギリスの近世哲学である『経験論/または経験主義(Empiricism)』と比較されています。
大陸合理論では、人間は生得的に理性を与えられており、(生まれた時点で)基本的な観念や概念を備えている、あるいはそれを獲得できるだけの能力を持っていると考えられています。
一方、経験論では「人間は生まれたときは白紙である(ラテン語:tabula rasa/タブラ・ラーサ)〈注5〉」という言葉で示される通り「人間の全ての知識は我々の経験に由来する」という立場を取っています。
経験論は『唯物論』や『実証主義』と緊密に結び付いており、この思想は後に『功利主義』の思想を体系化させることになりました。
興味深いのは、大陸合理論と功利主義の原型的な思想が、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』において、デーヴァとアスラの物語として語られていたことです。
この場合、(こじ付け感はありますが)大陸合理論がデーヴァ、(唯物論との関連で)功利主義がアスラの思想に通じているといえるのかもしれません。
●画像引用 Wikipedia
前回の記事『密教の瞑想法――五相成身観 中編』の後半において、真言密教(真言宗の密教)の教主『大日如来(マハーヴァイローチャナ)〈注1〉』とアスラ王『マハーバリ(別名:ヴァイローチャナ)』との関係について考察しました。
大日如来は、インド神話において『三界(天界・空界・地界または天界・地上界・地下界のこと)』の覇者となったアスラ王に由来していると思われるのですが、それは名前だけのことに限らず、思想的な背景もあるようです。
上記に関連して、今回も『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』から引用し、同ウパニシャッドにて伝えられた物語を紹介します。
この物語では、『アートマン(自我/真我)』とは何かということについて、インド神話の2大勢力――『デーヴァ(神々とされる存在)』と『アスラ(悪魔・鬼神とされる存在)』――それぞれの認識を比較することができます。
登場人物は以下の3者です。
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●プラジャーパティ(生類の主)〈注:左画像上段参照〉
●ヴィローチャナ(アスラ王)
●インドラ(デーヴァ王)〈注:左画像中段参照〉
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この物語に登場する『ヴィローチャナ』とは、マハーバリの父親です。
『ヴィローチャナ』とは『照らす(形容詞)』という意味であり、そこから転じて『太陽』『太陽神』、あるいは『月』も表すようになった単語〈注2〉です。
名前の意味からして大日如来を連想させるこのアスラ王の思想は、当然ながらその子であるマハーバリ(ヴァイローチャナ)にも影響したことでしょう。
※インド神話の設定では、マハーバリはヴィローチャナの生まれ変わりとされているので、同じ思想の持主だと考えてもよいでしょう。
ヴィローチャナとインドラは、アートマンを求めてプラジャーパティという神に教えを乞いました。
このアートマンは、一般的に『自我』『自己』『真我』などと訳されている個々人の根源のことだとされています。
インドラとヴィローチャナがアートマンを求めた理由は「アートマンを認識した者は、あらゆる世界でよい境遇を得て、あらゆる願望が満たされる」というブラジャーパティの話を聞いたからです。
そして、ヴィローチャナとインドラがプラジャーパティの下で32年の修業を修めた頃、師は弟子たちに修行の目的を問いました。
この問答により、プラジャーパティは弟子たちが抱くアートマンへの期待を知ると、アートマンについて以下のことを教えました。
「目に映る人物がある。これがアートマンである。このアートマンは不滅なもの、畏れ無き者、すなわちブラフマンである」
この教えを確認するため、プラジャーパティは水を満たした水盤を観察するよう命じました。
ヴィローチャナとインドラが師の言う通りにすると、水盤に映る自分たちの全身を見ました。
続いて、プラジャーパティは着飾った上で水盤を観察するよう命じました。
弟子たちがその通りにすると、今度は水盤を通して着飾った自分たちの姿を確認しました。
師から「(水盤に)何が見えるか?」と問われると、弟子たちは見たままのことを伝えました。
すると、プラジャーパティは「これがアートマンであり、不死であり、畏れ無き者であり、ブラフマンである」と説きました。
この話を聞き、ヴィローチャナとインドラは満足して師のもとを去っていきましたが、弟子たちを見送った後、プラジャーパティは以下の独り言を呟きました。
「彼らはアートマンを見出せずに去った。こんなもの(身体)をウパニシャッド(奥義)としてありがたがる者は、やがて滅びてしまうだろう」
つまり、プラジャーパティは弟子たちに嘘をついたのです。
同時にこの嘘は弟子たちへのテストでもありました。
師から言われたことになんの疑問も抱かなかった者は『不合格』というわけです。
インドでは、古来より弟子は『師(グル)』に服従することが基本的な関係とされているそうなので、そういう意味では、このテストは意地が悪いといえるでしょう。
師の教えに疑問を抱くということは、師に背くことに繋がりかねないからです。
逆に言えば、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』が成立した(仏教が創始される以前の)時代では、そうしたことも許されるような柔軟な教育の風潮があったのかもしれません。
ウパニシャッドの物語におけるヴィローチャナは、師の教えを真に受けてアスラ族のもとに帰還し、その考え方に基づいて以下の奥義を伝えました。
「現世において、『アートマン(ヴィローチャナの解釈では身体)』を楽しませ、奉仕せよ。このアートマンに奉仕してこそ、現世と来世の両方で良い境遇を得られるであろう」
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、ヴィローチャナが発したこのセリフの後――
このような由来により、現世で施しをせず、信心もなく、祭祀も行わない人間のことを世間ではアスラという〈注3〉。
これはアスラの奥義だからだ。
この種の輩は、死者の体を飾り立てることにより、現世と来世の両方でよい境遇を得られると思っているのだ。
――上記のようにアスラのことが評されていました。
要は、アスラの思想は『唯物論』あるいは『物質主義』だと言いたいようです。
※この詳細は次章にて取り上げます。
ヴィローチャナはプラジャーパティの教えに満足しましたが、インドラは帰途で師の教えに疑問を抱きました。
『不滅のアートマンだといわれた肉体』は、病気や欠損によって不完全な存在となり、死ねば滅びてしまうことに気づいたからです。
インドラがブラジャーパティにもとに戻り、上記の疑問を問いかけると、ブラジャーパティは「いかにもその通りだ」と言って、さらに32年の修行をすすめました。
このようなやり取りが何度か繰り返され、その度に誤った教えを受けたインドラ〈注4〉ですが、計101年の修行に勤めた結果、最終的にアートマンについて以下のことを伝授されました。
(…………というか、酷いなプラジャーパティ)
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虚空に目が向けられている場合、アートマンは見る人となる。
目(視覚)は、アートマンが見るための道具に過ぎない。
私はこれを嗅ごう――と意識するものがアートマンである。
鼻(嗅覚)は、アートマンが香りを嗅ぐための道具に過ぎない。
私はこれを語ろう――と意識するものがアートマンである。
語(発声機能)は、語るための道具に過ぎない。
私はこれを聞こう――と意識するものがアートマンである。
耳(聴覚)は、アートマンが聞くための道具に過ぎない。
私はこれを考えよう――と意識するものがアートマンである。
マナス(心/思考機能)は、アートマンの神霊的な目に他ならない。
アートマンは、この神霊的な目であるマナスを以て、諸願望の実現を見て楽しむのである。
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つまり、プラジャーパティは『意識』こそアートマンであると(正しい答えとして)説いたのですが、それはそれとして、上記のプラジャーパティの教えと似たような格言を聞いたことがありませんか?
特に最後の「私はこれを考えよう――と意識するものがアートマンである」という部分です。
西洋の『近世哲学(近代哲学)』に慣れ親しんた人ならぴんと来るかもしれません。
そう、フランスの哲学者『ルネ・デカルト』が提唱した命題――「我思う、故に我在り(ラテン語:Cogito ergo sum/コーギトー・エルゴー・スム)」です。
自分を含めた世界の全てが虚りかもしれない。
でも、疑っている意識が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。
デカルトは上記の言葉に象徴される『近代的自我』の発見者とされていますが、その先駆がすでに古代インドにおいて説かれていたことになります。
無論、ウパニシャッドは宗教文献であるためか、このアートマンには『霊性/霊魂』的な意味合いも含まれています。
つまり、「私はこれを考えよう」と意識させる人間の自我の根本は、肉体を器としている霊魂だということですね。
プラジャーパティが「アートマン(意識自我)により、あらゆる世界でよい境遇を得て、あらゆる願望が満たされる」とインドラに教えると、インドラを筆頭とするデーヴァ神族はこのアートマンを崇拝し、彼らはその恩恵を受けた――と、この物語は締められています。
なお、前回の記事で書いた通り、ブッダはこうしたアートマンの思想については否定的でした。
ブッダの時代に近い最古の仏典の1つ『スッタニパータ』には以下の言葉が残されています。
『我は考えて有る』という『迷わせる不当な思惟』の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をも、よく導くために、常に心して学べ。
古代インドでは、ブッダの時代以前に西洋的自我の思想が主張されていただけではなく、ブッダ(あるいは原始仏教のグループ?)の説において、これを否定する思想も考えられていたというわけです。
ブッダは紀元前5世紀前後の人物とされ、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』はそれ以前の時代の文献です。
『ウパニシャッドで説かれたアートマン(自我)』と『仏教で説かれたアナートマン(無我)』――どちらの思想が正しいかはともかく、 古代インドの思想家たちには感服せざるを得ません。
【注釈 1~5】
■注1 真言密教の教主『大日如来(マハーヴァイローチャナ)』
大日如来は中期密教までは中心的な仏尊とされていたが、後期密教となると『阿閦如来(あしゅくにょらい)』『金剛薩埵(こんごうさった)』『持金剛仏(じこんごうぶつ)』などが主尊となっていった。
上記の理由としては、イスラム勢力の脅威と『インドにおける仏教の衰退』を背景に力強い憤怒相の仏尊が数多く信仰されるようになったからだと考えられており、阿閦如来はそうした仏たちを統括する存在となった。
■注2 『ヴィローチャナ』とは~『太陽』『太陽神』、あるいは『月』も表すようになった単語
『ヴィローチャナ』はヒンドゥー教の主神の1柱『ヴィシュヌ』の別名の1つでもあるが、文献を読む限り、アスラ王のことを指していることが多いように思われる。
■注3 現世で施しをせず、信心もなく、祭祀も行わない人間のことを世間ではアスラ族という
インドに古代文献において、唯物論者の呼称として『アスラ』がしばしば用いられたが、この他『ラークシャサ(羅刹)』や『ヤクシャ(夜叉)』とも呼ばれていた。
要は、唯物論は『鬼神=インド土着の神々』に属する思想だと思われていたようだ。
■注4 このようなやり取りが何度か繰り返され、その度に誤った教えを受けたインドラ
『アートマン⇒身体説』に疑問を抱いたインドラは、プラジャーパティに見込まれてさらに32年の修行をした後、「夢の中で得意気に活躍するもの――これがアートマンである(アートマン⇒夢説)」と教えられた。
インドラはこの教えに満足して師をもとを去った(2度目)が、帰途で再び疑問を抱く。
夢の世界ならば、現実における身体の不具合などに悩まされることはないが、他人に暴力を振われるなどの悪夢を見れば苦しみが生じ、それがアートマンということになってしまうからだ。
インドラがブラジャーパティのもとに戻り、上記の疑問を問いかけると、ブラジャーパティは「いかにもその通りだ」と言って、さらに32年の修行をすすめた。
この修行の後で、「夢すら見ない熟睡がもたらす寂静の状態がアートマンである(アートマン⇒寂静説/あるいは無我説)」とインドラは教えられた。
インドラはこの教えに満足して師をもとを去った(3度目)が、帰途でさらに疑問を抱く。
寂静の状態では「これが私だ」というように自分を意識することがなく、ましてや万象を認識することもない。
そのような者は、実に消滅の状態に到達した者になっている。
私はこのようなものに価値を認めない。
インドラがブラジャーパティにもとに戻り、上記の疑問を問いかけると、ブラジャーパティは「いかにもその通りだ」と言って、さらに5年の修行をすすめた。
この後、インドラは『意識』がアートマンであると教えられた(結果的にインドラは計101年の修行をした)。
■注5 人間は生まれたときは白紙である(tabula rasa/ラテン語:タブラ・ラーサ)
上記の言葉は、イギリス経験論の父と呼ばれた『ジョン・ロック(John Locke)』が引用したことで知られているが、このような思想の起源は古く、プラトンの『テアイテトス』、アリストテレスの『霊魂論』にその例を見ることができる。
アスラ的思想と密教
アスラとアートマン
『阿修羅(あしゅら)』は、インド神話で悪魔扱いされた『アスラ(असुर /asura)』の漢音写です。
アスラの語源候補となっている語の1つは『asu(呼吸・生命・活力』です。
そんなアスラがアートマンとして考えたのは『身体』でした。
『自我(真我)』や『霊魂』などと解釈されているこのアートマンという単語は、『an(呼吸)』、あるいは『tanū(身体)』に由来しているそうです。
つまり、アスラは『呼吸』と『身体』というアートマンに関係する2つの要素と深い繋がりがあると思われるのです。
ということは、アートマンは元々デーヴァよりもアスラへの信仰――言い換えるなら、非アーリア系(インド土着)民族の宗教――に由来する概念だと推測することができます。
●画像引用 Wikipedia
カウティリヤと唯物論
『カウティリヤ(紀元前350年 ~ 紀元前283年)』は、マウリヤ朝の初代国王――チャンドラグプタに仕えた宰相です。
マウリヤ朝は3代目のアショーカ王の時代に(南端部分を除く)インド亜大陸全域を統一しました。
カウティリヤの著書とされる『実利論』は後世のニッコロ・マキャヴェッリの著書『君主論』と比較されるほど冷徹な政治論となっています。
本書が『魚の法則(実利論で言うところの弱肉強食のこと)』を防ぐためには権力が必要であるという信念に基づいて書かれたことには注意が必要でしょう。
これは『小さな政府』を推進する余り、巨大企業が政治を左右してしまうほどの力を持ってしまった現代においても通じる論理ではないでしょうか。
この『実利論』では「哲学はサーンキヤ(学派)とヨーガと順世派である」というように、順世派(唯物論的思想)を評価していたと思われる記述があります。
『実利論(カウティリヤ著)』と同じく、『君主論(マキャヴェッリ著)』と比較されている政治論としては『韓非子(かんぴし)』があります。
奇しくも、カウティリヤの死(紀元前283年)から数年後に生まれたとされる古代中国の政治思想家(法家)『韓非(かんぴ):紀元前280年?~紀元前233年)』も、その著書『韓非子』において、唯物論的な世界観に基づく冷徹な政治思想〈注8〉を語っていました。
『韓非子』に感嘆し、その策を取り入れた『秦の始皇帝(嬴政/えいせい)』は、後に史上初の中国大陸の統一を成し遂げました。
※ただし、現在において定められている中国大陸よりも狭い範囲です〈注:秦の版図〉。
インド亜大陸と中国大陸という地理的条件は異なるものの、バラモン教・ヒンドゥー教では『アスラ的』とされる唯物論的な傾向を含んだ政治思想が、国力増強と大陸統一(征服事業)に貢献したのは特筆に値するといえるでしょう。
つまり、(身体=物質を重要視するという意味での)アスラ的思想は、現実問題を処理していく上では正しい部分があったということになります。
ただ、秦朝は始皇帝の死後、5年も持たずに滅亡しました(建国から15年後のこと)。
マウリヤ朝も、アショーカ王の死後に国家は分裂――約50年後に滅亡しました。
アショーカ王は仏教を信仰し、治世10年頃から『ダルマ(法)』による統治を目指したとされていますが、その願いは叶わなかったのです。
上記の歴史は、唯物論的な思想に基づく強権政治の結果――あるいは1つの可能性――を示唆しているといえるでしょう。
ただ、乱世ではこの類の思想に基づいた政治の方が、成果を出し易いのは歴史的な事実のようです。
●画像引用 Wikipedia
カーラ・バイラヴァ
『カーラ・バイラヴァ(कालभैरव/Kalabhairava)』は、ヒンドゥー教三大神の1柱――シヴァの破壊相です。
シヴァは傲慢な態度を示した創造神ブラフマーに対し、カーラ・バイラヴァの相を示し(あるいはカーラ・バイラヴァを生み出し)、5つあるブラフマーの首の1つを切り落としました。
※上記の物語の詳細は以下のリンクに移動した後、『注2 シヴァによるブラフマーの成敗』を検索して確認できます。
●画像引用 Sita★Rama
密教との関連において、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』で注目すべきなのは、プラジャーパティが最初に説き、ヴィローチャナがアスラ族に広めた教え――アートマンを身体とする『身体自我説』です。
上記の教えは、『脳と肉体の相互作用』が研究されている現代科学との親和性がありそうですが、古代インドにおいて、この種の思想は『非アーリア系民族が生み出した奥義』として下劣なものとされていたとか。
前回の記事において、アスラのルーツには(インダス文明を築いたような)インド土着の人々が崇拝した神々も含まれている可能性を言及しました。
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』におけるヴィローチャナの思想は、そのことを暗示しているといえるでしょう。
また、アートマンの語源として、現代では主に『呼吸説』と『全人(身体)説』が考えられていますが、この種の議論――アートマンのルーツに纏わる諸説の討論――が古代でもあったことを反映しているのかもしれません。
先述した通り、伝統的なバラモン教において、アスラ的な思想家は『唯物論者(サンスクリット語:चार्वाक/cārvāka/チャールヴァーカ)』だと思われていたようです。
古代インドにおける唯物論的な思想は、『順世派(じゅんせいは)/サンスクリット語:lokāyata/लोकायत/ローカーヤタ』がこれに該当します。
上記の思想は、ブッダと同時代の自由思想家『アジタ・ケーサカンバリン』の主張が始まりだとされています〈注6〉。
このアジタ・ケーサカンバリンは『六師外道(ろくしげどう)』――つまり、仏教視点では異端と見なされた思想家の1人とされています。
アジタ・ケーサカンバリンは、世界の構成を『地』『水』『火』『風』『空』という四元素の離合集散で説明しようとしました。
このような世界観は、古代ギリシアの哲学者『エンペドクレス(紀元前490年頃~紀元前430年頃』の思想と共通しています(奇しくも2人は近い時代に生まれた思想家でした)。
エンペドクレスは、物質の『アルケー(万物の始原)』は『火』『水』『土』『空気』という四元素から成り、『愛』と『憎』によって集合と離散を繰り返すと説きました。
『愛憎』という比喩的な要素を加えていますが、世界の構成について、アジタ・ケーサカンバリンとエンペドクレスは概ね同じ見解だったといえるでしょう。
ただ、両者は生まれた環境に大きな違いがありました。
アジタ・ケーサカンバリンの場合は――バラモン教に代表される――宗教権力が特に強いインドで生まれた分、異彩を放っていたのです。
アジタ・ケーサカンバリンの思想は、霊魂やアートマンの存在を否定し、当時のインドにおいて重要視されていた『カルマ(業)』の概念をも否定したのです。
善悪の報いが無ければ来世も無い。道徳も宗教も不要――このような無神論的な考え方は、伝統的な共同体倫理を否定することに繋がります。
バラモン教側からアスラ的思想と見なされても、当然のことだったでしょう。
なお、アジタ・ケーサカンバリンを外道扱いした仏教ですが、こちらもアートマンには否定的でした。
アートマンには『自我』の他に『霊魂』という意味合いもあります。
故にバラモン教視点では、仏教と順世派は共に『唯物論的な思想を抱くアスラ(悪魔・鬼神に属する輩)』ということになります。
もっとも、唯物論的で迷信に振り回されない『アジタ・ケーサカンバリン及び順世派の思想』は、古代人よりも現代人の方が共感するのではないでしょうか。
宗教的な観念を持たない人なら、「順世派は古代における先進的な思想を持った人々」という印象すら抱くかもしれません。
※もちろん、宗教の内容全てが迷信だと断定することはできません。ただ『霊魂』『死後の世界(霊界)』『輪廻転生』などについては、(物質面のみを判断の基準とするなら)現代においてそれを公式の真実と認定するのは難しいでしょう。
古代インドの名宰相『カウティリヤ』は、その著書『実利論(サンスクリット語:अर्थशास्त्र/arthaśāstra/アルタシャーストラ)』において「哲学はサーンキヤ(学派)とヨーガと順世派である」と言及していたそうです。
つまり、政治の実務に当たる人物からも、順世派は有益な思想の1つだと見なされていたということですね。
もっとも、『実利論』の成立年代は明確になっていません。
それでも、冷徹な政治家といわれるカウティリヤが、順世派の思想を参考にしていた可能性はあるでしょう。
『実利論』のような政治論が書かれたという事実は、空論に耽る伝統的な宗教家・哲学者たちの思想より、唯物論的な思想の方が政治問題を処理する上で有効だったということになります。
もっと端的に言えば、アスラ的とされる思想の方が、デーヴァ(バラモン教)的思想よりも現実的だったのでしょう。
仏教やジャイナ教などの非バラモン系の宗教が隆盛していくと、バラモン教はその対抗手段を講じる必要に迫られました。
その結果、(アーリア人=インド・ヨーロッパ語族の宗教とは異なる)インド土着宗教の要素を受け入れ、ヒンドゥー教へと変化していきました。
見方を変えれば、それはウパニシャッドにおいて否定されていたアスラ的思想を受け入れたということでもあります。
例えばヨーガ――特にハタ・ヨーガでは「身体こそ解脱を現証すべき聖地であり、身体の鍛錬が唯一の儀礼である」と説いたそうです。
これは、『身体自我説』を見出したヴィローチャナ(アスラ王)の思想に近くなったといえないでしょうか。
古典的なハタ・ヨーガでは、シャットカルマ(浄化法)、ムドラー(印相)、プラーナーヤーマ(呼吸法)など――言うなれば密教修行に近い身体的修練――を重要視していました。
現代的なハタ・ヨーガでは様々な体位法(アーサナ)に重点を置いており、古典的なハタ・ヨーガよりもさらにアスラ的な傾向が強まったといえるでしょう。
このような修行法については、ヴェーダ時代のバラモン教徒の視点で見るなら、デーヴァ(神々)よりもアスラ(悪魔・鬼神)に近づく行為に当たるかもしれません。
ハタ・ヨーガの開祖とされるヒンドゥー教の主神の1柱――シヴァは、リグ・ヴェーダにおいてアスラと呼ばれた暴風神ルドラをルーツとしている他、(同じくアスラと呼ばれることがあった)インド土着神の要素を取り込んだ神と考えられています。
故に、その思想がアスラ的な傾向になったとしてもおかしくはないでしょう。
そもそもヨーガ自体がインダス文明起源――つまり、非アーリア的(=アスラ的)な修行法がルーツといわれているのですから。
ヒンドゥー教の神話では、シヴァの化身『カーラ・バイラヴァ』がブラフマーの首の1つを切り落としたり、シヴァが無礼を働いたインドラを容易く懲らしめる物語が描かれました。
上記の神話は、バラモン教の神々に対するシヴァ(アスラ性の強い神)の優位性を示したことになります。
また、複数のアスラたちがインドラなどの神々を打ち負かす物語も語られました。
その点を考えると、インドの宗教史的には「アートマンの解釈は(インドラよりも)ヴィローチャナの方が正しかったのでは?」と思わせる部分も見られます。
話を密教に戻しましょう。
密教の教義では、『印相などの身体性(=身密)』を含めた『三密(さんみつ)=身密・語密・心密』が重要視されています。
これは、『アートマン=身体自我説』を拡大させた思想かもしれません。
また、大乗仏教では『煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)』という(原始仏教や上座部仏教ではあり得ない)『煩悩=欲望』を認めるような思想も説かれました。
この思想は密教においてさらに露骨になり、『理趣経(りしゅきょう)〈注7〉』としてまとめられるようになりました。
むやみに欲望を抑え込むより、こちらの思想の方が(実生活において)現実的ではあります。
ただ、密教が最終的に(ヒンドゥー教のタントラと同じく)性的な儀式を取り入れるようになったのは、この経典が根拠の1つになった可能性はあるでしょう。
上記のような後期密教の教義は、原始仏教とは全く違った宗教になったといえますが、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』で言及された――
「現世において、『アートマン(ヴィローチャナの解釈では身体)』を楽しませ、奉仕せよ。このアートマンに奉仕してこそ、現生と来世の両方で良い境遇を得られるであろう」
――というアスラ王ヴィローチャナが確信したアートマンの思想とは矛盾しません。
また、『意識自我(デーヴァ=バラモン教の神々のアートマン)』を悟りの中心としていないことからわかる通り、非バラモン的な思想であることも明らかです。
つまり、『アスラ的であること』において、密教は辛うじて原始仏教の名残があるといえるのかもしれません。
では、長い仏教史において、密教とは如何なる意味を持つのでしょうか。
次章では、そのことについて考えていきましょう。
【注釈 6~8】
■注6 古代インドにおける唯物論的な思想は~『アジタ・ケーサカンバリン』の主張が始まり
ブッダと同時代の唯物論的な自由思想家としては、『アジタ・ケーサカンバリン』の他に『パクダ・カッチャーヤナ』がおり、こちらも『六師外道』に含まれている。
パクダ・カッチャーヤナは『地』『水』『火』『風』『空』の物質的元素に加え、『苦』『楽』『命』を加えた7要素説を主張した。
■注7 理趣経(りしゅきょう)
理趣経の正式な漢訳名は『般若波羅蜜多理趣百五十頌(はんにゃはらみったりしゅひゃくごじゅうじゅ)』。
サンスクリット名は以下の通り。
प्रज्ञापारमिता नय शतपञ्चशतिका
prajñāpāramitā-naya-śatapañcaśatikā
プラジュニャーパーラミター・ナヤ・シャタパンチャシャティカー
理趣経は『金剛頂経』十八会の内の第六会にあたる『理趣広経』の略本に相当する密教経典であり、主に真言宗各派で読誦される常用経典である。
この理趣経では、それまでの上座部仏教や大乗仏教では考えられない以下の記述がある。
①(性欲を含めた)全ての欲望は清浄である(第1章)。
②般若理趣(究極の智慧)の法門を奉じているならば、、三界の一切の衆生を害してもその報いを受けることはない(第3章)。
③真実は理趣(みち)は、1個人を離れた『一切我(全一なるひと)』として遍在している(第12章)。
理趣経における性的表現と(殺害などの)罪の容認は、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』と並ぶ最古のウパニシャッド『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』と類似していること、また『一切我』という概念が『ブラフマンとしてのプルシャ』と類似していることを考えると、密教はウパニシャッド思想の影響をかなり受けていると思われる。
★理趣経における殺害容認について
②に関しては、某宗教の『ポア』を連想する読者もいるかもしれない。
上記の『ポア(正しくはポワ)』に関しては『チベット死者の書』に由来しているようだが、元々の『ポア(ポワ)』は(病気や怪我などで)瀕死の状態になった者に『引導を渡す(止めを刺す)儀式』であり、『死の直接的な要因』は宗教的な都合によってもたらされたわけではない。
もっとも、殺人を肯定するような文言がある宗教文献は、密教に限らず散見される。
最も有名なのは『旧約聖書(ユダヤ教)』と『コーラン(イスラム教)』である。
これらは「神の敵(異教徒)は殺すべし」という宗教的信条によって積極的に肯定され、キリスト教(十字軍)やイスラム教(ジハード)の宗教戦争に利用された。
『バガヴァッド・ギーター(ヒンドゥー教)』の場合は、『カースト制度により定められた戦士の義務』という社会的慣習の意味合いで殺人が肯定されている。
大乗仏教の経典では、『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』『優波離所問経』『大乗集菩薩学論』『入菩提行論』などにおいて、『大悲心』『衆生救済』を前提として殺人を肯定するような内容が書かれた。
例えば『大般涅槃経』には以下の記述がある。
前世においてブッダがある国の王だった時のこと。
宮廷が悪僧達に牛耳られていたが、その中で1人だけ正しい心を持った僧がいた。
悪僧達はその僧侶を疎ましく思い、彼の殺害を企てたが、このことを知った王は、策を講じて先に悪僧達を皆殺しにした。
つまり、悪人に対して私怨がなく、かつ悪人が『悪業(上記物語の例で言えば正しい僧を殺害すること)』の報いを受けないようにすることが目的であれば、その殺害は許されるというわけである。
密教系経典の場合はそうした条件もなくなり、理趣経(中期密教の経典)のように「(密教的な)真理に到達した者は衆生を害してもその報いを受けない」という『殺人に対する罪の意識』を薄れさせる内容もあれば、後期密教の『秘密集会タントラ』――「秘密金剛によって一切衆生を殺害すべし。殺されたその者達は阿閦如来の仏国土において仏子となるであろう」、あるいは『ヘ-ヴァジュラタントラ』――「あらゆる生類を殺戮せよ」のように過激な内容もあった。
インド仏教の現場において、こうした経典に基づく殺害が文字通り行われていたかどうかは定かではない。
ただ、後期密教の思想が某宗教に影響を与えたことは容易に想像できるだろう。
(理趣経やタントラなど)密教経典における『殺害』とは「無明・煩悩を滅すること」と解釈される場合もあるが、仮にそうだとしても誤解を生む記述なのは事実である。
このような教義上の問題が生じた原因としては、歴史上の仏教団体が「敵を殺害しなければ自らが被害を受ける」という現実に少なからず直面したからではないだろうか。
『不殺生』を信条としているからといって、自分たちに害意にある者たちに対してまともな抵抗もできず、蹂躙されてもよいのか――この問題は宗教のみならず『平和主義』の思想に当て嵌まるといえるだろう。
上記のような思想は、本質的に生物の本能に反しているからだ。
■注8 『韓非子(かんびし)』において、唯物論的な世界観に基づく冷徹な政治思想が語られた
『韓非子』の著者である『韓非』は、『性悪説』で知られた儒家『荀子(じゅんし)/本名:荀況(じゅんきょう)』に師事した。
荀子の思想は科学的なところがあり、神聖なものと考えられていた『天』の概念を自然現象だと見なし、唯物論的な世界観を主張した。
このことを示す荀子の言として――
「天とは自然現象である。これを崇めて供物を捧げるよりは、研究してこれを利用するほうが良い」
「流星も日食も、珍しいだけの自然現象であり、為政者の行動とは無関係だし、吉兆や凶兆などではない。これらを訝るのはよろしいが、恐れるのはよくない」
「自然の妖より人妖を恐れよ」
――などがある。
韓非も荀子の思想の影響を受けていたようであり、『韓非子(外儲説)』において、以下の説話が入っている。
これは直接的に唯物論を示す内容ではないが、韓非の合理的な考え方を推察する上で参考になるだろう。
ある時、斉王が「一体何を描くのが難しいのか」と彼に尋ねると、食客は「犬や猫でございます」と答えた。
続いて、斉王が「何が簡単なのか」と尋ねると、「化物でございます」と答えた。
犬や猫は誰もが目にし、知っているため、いい加減には描けない。
一方、化物の類は決まった形がなく、誰も見たことがない。
故に、どう描いてもよいから簡単というわけである。
現代の画家やイラストレーターの立場であれば、上記の話に納得できない人もいるかもしれないが、大衆の認識が曖昧な存在であれば、いくらでも誤魔化せることを韓非は指摘したのだ。
さらに言えば、韓非は「(超常的な)化物など存在しない」と思っていたのかもしれない。
彼が生きた戦国時代では、幽霊や妖怪よりも人間こそ最も身近で凶悪な化物だったことは間違いないだろう。
アスラ王の奥義
獣の主
画像はインダス文明の古代都市(遺跡)――『ハラッパー』から出土された『獣の主』の印章であり、 『モヘンジョダロ』の遺跡でも同様の遺物が発見されています。
『安座(安定坐法:スッカアーサナ⇒ヨーガの姿勢の1つ)』のような姿勢で座している牛角を生やした印章の人物は、ヒンドゥー教の大神シヴァの前身の1つではないかと思われていました(シヴァはヨーガの神でもあります)。
インダス文明の研究が進むにつれて、この説には疑問を持たれるようになりましたが、少なくとも印章の人物がなんらかの修行をしていることは間違いないように思われます。
インダス文明の諸都市がインド土着の民族『ドラヴィダ人』によって築かれたという説が事実であれば、印章に描かれた修行者こそ(インド土着系タイプの)『アスラの原型』であるといえるでしょう。
そして、インダス文明に由来する修行法が、アスラにとっての『アートマン=身体自我』の思想に繋がっているのではないでしょうか。
奇しくも、インド神話には(『獣の主』との関連を思わせる)水牛から生まれたアスラ王――『マヒシャ(マヒシャースラ)』が登場します。
マヒシャは勇猛なアスラ軍を率いてインドラなどの神々を打ち破り、三界征服に成功しましたが、最後はドゥルガー女神によって殺されました。
●画像引用 METAS ADVENTIST SCHOOL
不動明王
不動明王はサンスクリット語で『アチャラナータ(अचलनाथ/acalanātha/意味:不動の守護者)』といい、この名前はヒンドゥー教の神シヴァの別名の1つです。
原理主義的な仏教徒からは、シヴァ=不動明王説は否定される傾向にありますが、おそらくは『シヴァの修行者としての相』を仏教の守護者として取り入れた神格だと思われます。
●画像引用 Wikipedia
シャンバラ
『シャンバラ』とは、『時輪タントラ』にて説かれる伝説上の仏教王国です。
そのルーツはインド神話の地下の楽園『パーターラ』、さらに遡れば、ゾロアスター教の聖典アヴェスターに記された地下施設の楽園『ヴァラ』とも関係があるかもしれません。
※『ヴァラ』については『大洪水以前の世界 その6 ゾロアスター教の神話(イラン神話)』参照。
『シャンバラ=パーターラ』と解釈するなら、そこに住む仏たちは、実質的にインド神話におけるアスラ族なのかもしれません。
●画像引用 JapaneseClass.jp
インドにおいて、仏教は原始仏教⇒大乗仏教⇒密教というように変遷していきました。
体系的な密教が登場した時代、インドではヒンドゥー教の隆盛により仏教は衰退の時期に入っていました。
そうした風潮に対抗するためにも、仏教はヒンドゥー教(特にシヴァ派)の要素を取り入れたのです。
これは仏教のヒンドゥー教化ともいわれていますが、両者の源流であるウパニシャッド思想の視点で見れば、仏教がより『アスラ化』したともいえます。
このシリーズ記事において何度も言及した通り、バラモン教の視点では、仏教は元々のアスラの思想と見なされていましたが、密教化に当たって参考となったシヴァ派の神(シヴァ)も元々アスラ(ルドラ)であり、その思想もアスラ的な要素が強かったのです。
つまり、密教は原始仏教(ブッダの思想)からの乖離といえますが、同時にそれはウパニシャッドにおける『梵我一如』思想への回帰であり、そこで説かれていたアスラ的な思想に近づいていった(戻っていった)ともいえるかもしれません。
さらに言えば、原始仏教の頃から秘められていたアスラ的傾向が、大乗仏教⇒密教と変遷するにつれ、より顕在化していったのが密教だったのではないでしょうか。
だからこそ、アスラ王『ヴァイローチャナ(マハーバリ)』が、金剛頂経における密教の教主『大日如来』として取り入れられたと思われるのです。
アスラ的要素(=アスラの奥義)を端的に言うなら、『身体性を尊重すること〈注9〉』でしょう。
上記について、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では(バラモン教視点による偏見のためか)単なる快楽主義的・物質主義的な意味合いで言及されていましたが、ブログ主はそうではないと考えています。
前章にて「ヨーガ自体がインダス文明起源〈注:左画像(獣の主)参照〉」と書いた通り、真のアスラの思想には、身体に厳しい修行を課す内容も含まれていたと思われます。
少なくとも、このような修行法は(インドの外からやって来た)元々のアーリア人にはありませんでした。
だからこそ、インド神話に登場する強豪なアスラたちは「自身を苛め抜く苦行に励み、デーヴァ(アーリア人の神々)を凌駕する力を得た」と語られてきたのでしょう。
『意識=アートマン』と解釈しないアスラ的(非アーリア的)な考え方は、一方では『仏教(無我の思想)』、他方では『順世派(唯物論)』という(古代インドにおける)異端思想と結び付けられました。
ただ、異端とされながらもアスラ的要素はインドにおいて決して滅びることなく、やがて『シヴァ(ヨーガの神)』という姿となって、インド思想の主流派になっていきました。
この神を崇拝するシヴァ派の思想が、仏教の中にあったアスラ的要素を刺激したのかもしれません。
シヴァは、一方では仏教の敵として『降三世明王(ごうざんぜみょうおう)』に調伏される存在とされながらも、他方では『不動明王』という仏教の重要な守護尊として取り入れられました。
この他にもシヴァがルーツと思われる仏・菩薩・明王などが複数見られ、シヴァに対する仏教側の複雑な心情を察することができるでしょう。
このことは、密教がシヴァ派の思想を多分に参考にしている証かもしれません。
シヴァに対し、もう1柱の大神であるヴィシュヌの扱いはかなり微妙です。
仏教におけるヴィシュヌは、『那羅延天(ならえんてん)/毘紐天(びちゅうてん)』という天部の神、あるいは『那羅延堅固王(ならえんけんごおう)/金剛力士の1尊』になっているくらいであり、ヴィシュヌの化身とされた絶大な人気を誇る『クリシュナ』に至っては無視されています。
大日如来にとって相性が悪そうな神は敬遠したい――そんな仏教側の都合が見えてしまうのは、ブログ主だけでしょうか……〈注:『密教の瞑想法――五相成身観 中編(マハーバリ)』参照〉。
結局、インドにおいて仏教はかつての隆盛を取り戻すことはできませんでした。
仏教衰退期のインド社会において、仏教徒(密教徒)たちが希望を託した『神』が、理想の統治を行ったと伝えられるアスラ王だったとしても不思議ではないでしょう。
また、大日如来以外でもアスラ(阿修羅)、ヤクシャ(夜叉)、ラークシャサ(羅刹)――ヒンドゥー教では悪魔・鬼神とされた者たち――などをルーツとする『仏教の神(菩薩・明王など)』がいることを考えると、当時の仏教徒(密教徒)たちが、ヒンドゥー教に対してどんな思いを抱いていたか想像することができます。
チベット仏教における仏教王国の楽園『シャンバラ』は、一説によると地下世界にあるとか。
シャンバラのルーツは、(おそらく)インド神話の地下の楽園『パーターラ』だと思われます。
同神話おいて、アスラやナーガ(蛇神)は基本的にパーターラに居住しており、ヴィシュヌに敗北したマハーバリも、その後はパーターラの第3層である『スタラ』に移り住んだとされています。
となると、(マハーバリがルーツかもしれない)大日如来の『真の住居』は地下世界にあるのかもしれません。
神話・歴史・思想などの要素を総合的に考えた上で、さらにオカルティックな解釈を加えてみると、大日如来が説いたとされる金剛頂経について、以下の結論を出すこともできるでしょう。
金剛頂経とは、いにしえの偉大なアスラ王が、その奥義たる叡智と秘術を人々に開示した教えである〈注10〉。
そして、金剛頂経に記された即身成仏への道――『五相成身観』とは、『アスラの賢者・呪術師(=密教における仏の正体)』になるための修行法といえるのかもしれません。
これは決して悪い意味ではありません。
一般的に悪魔・鬼神というイメージがあるアスラですが、インド神話で伝えられるところでは、神々とされるデーヴァ以上に優れた点が多々あるのですから〈注11〉。
マハーバリに至っては、敵側の文献であるばずのインド神話においてさえ、絶賛されるほどの卓越したアスラ王でした。
そんなアスラ王の教えを極めし者は、(マハーバリのように)『邪悪な神々(?)』をも打ち破り、人類のために至高の善政をもたらす大王と成り得るかもしれません。
※現実としては、密教は多くの祈祷師(呪術師)を生み出しただけのような気もしますが…………まあ、いいや。
――と、これまで好き放題かつ傲慢無礼な見解を述べてきましたが、本記事(の特に中編・後編)の内容はあくまでブログ主の解釈となります。
ブログ主は神秘主義を研究していますが、僧侶ではないので、本記事の内容はあくまでも参考情報としてお考えください。
密教や神秘主義の一端を理解する上で、本記事が皆様のお役に立てれば幸いです。
そして、ここまで長い記事を読んでいただいた皆様に、心から感謝致します。
ありがとうございました。
【注釈 9~11】
■注9 身体性を尊重すること
『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では、身体性を尊重するアスラの思想は下劣なものとされた。
確かに『身体性』を物質的な視点でのみ考えるなら、移ろい易い幻影に過ぎない。
だが、これをプラトン思想(プラトニズム)的な見地に立ち、『イデア的な意味での身体性』を含んだ思想として解釈した場合はどうか――『観念の世界(イデア)』の世界には『完全無欠の永遠なる身体性』が存在し、物質的な身体はその『不完全な反映』だと想定するなら、『アスラが奥義とした身体性』は意識的自我を超えた根本原理となるだろう。
『リグ・ヴェーダ』における『プルシャの讃歌』はそのことを示している可能性があり、サーンキヤ学派(インド哲学の1つ)や密教はこの世界観に基づいて思想体系を構築したのではないだろうか。
そして『イデア的な意味での身体性』を密教的に表現したのが、五相成身観における『一切如来の身語心の金剛界(一切の如来たちの総体=大日如来の本質)』なのかもしれない。
上記はあくまでブログ主の見解に過ぎないが、ヒンドゥー教であれ、仏教であれ、インドの思想史は身体性を重要視する方向で推移していったのは事実である。
そうした流れの中で考えられたのが、 チャクラ瞑想や五字厳身観など『身体各部にエネルギーセンターをイメージする修行法』であろう。
■注10 金剛頂経とは、いにしえの偉大なアスラ王が、その奥義たる叡智と秘術を人々に開示した教えである
上記のように解釈するなら、仏教や密教において説かれる『仏(仏陀)の正体』について、過大評価・贔屓目無しで考察できるようになる。
『仏/仏陀(サンスクリット語:बुद्ध/buddha)』とは『目覚めた人/真理を悟った人』という意味だが、その真理とは(バラモン教・ヒンドゥー教の視点で見れば)『アスラ的思想における真理』である。
つまり、仏教側の美化・誇張を取り除いて考えるなら、仏の本質とは『アスラ(アスラ的思想)に属する賢者(哲学者)』であり、密教であれば、これに『アスラの呪術師』という要素も加わった存在ということになるだろう。
■注11 (アスラは)神々とされるデーヴァ以上に優れた点が多々ある
ヒンドゥー教の神話では、マハーバリ以外でもインドラ(デーヴァ王)を打ち破ったアスラたちが少なからず登場する。
また、(マハーバリと同じく)ジャランダラなどのアスラ王も善政を敷いたという。
不甲斐ない神々に代わり、そうしたアスラたちを倒す役割を担うのは、ヴィシュヌやシヴァなどの最高神、あるいは両神の関係者たちであることが多い。
なお、イラン方面において、アスラは『アフラ・マズダー』というゾロアスター教の最高神として崇拝された。
ただし、こちらのアスラ(アフラ)はインド土着民族(非アーリア人)の宗教ではなく、アーリア人の宗教に由来する神である。
『リグ・ヴェーダ』が編纂された時代(紀元前12世紀頃)、アスラに悪役的な意味はなかったが、時代が下り、古ウパニシャッドが成立した頃(紀元前800年から紀元前500年)には、アスラは悪魔・鬼神として扱われる傾向にあった。
「アスラはア(a=非)・スラ(sura=生)である」という俗的な語源説も、この転回を支持するものである。
『イラン方面のアーリア人の神々』と『インドの非アーリア人の神々』が共にアスラと呼ばれるようになったのは、両者がデーヴァ(バラモン教・ヒンドゥー教の神々)と対立したからという単純な理由の他に、両神を崇拝する宗教の教義・思想に共通点があった可能性も考えられるだろう。
※両宗教は共に物質(もの)を卑下しない傾向にある。
参考・引用
■参考文献
●和訳 金剛頂経 津田真一 著 東京美術
●真言宗教相全書5 金剛頂経(上) 三井淳司 執筆、乾仁志 編集、宮崎宥勝 監修 四季社
●和訳 理趣経 金岡英友 編著 東京美術
●ウパニシャッド 佐保田鶴治 著
●リグ・ヴェーダ讃歌 辻直四郎 訳 岩波文庫
●SIVA PURANA The ancient book of Siva RAMESH MENON 著
●マハーバーラタ C・ラージャーゴーパーラーチャリ・奈良毅・田中嫺玉 訳
●マハーバーラタ 山際素男 編著 三一書房
●ヒンドゥー教の聖典 小倉秦・横地優子 訳注 平凡社
●ヒンドゥーの神々 立川武蔵・石黒淳・菱田邦男・島岩 共著 せりか書房
●梵和大辞典 荻原雲来 編纂 講談社
●A Sanskrit English Dictionary M. Monier Williams 著 MOTILAL BANARSIDASS PUBLISHERS PVT LTD
●五相成身觀の西藏傳譯資料に就いて 酒井紫朗 著(論文)
●インド密教における曼荼羅の変遷 黒木賢一 著(論文)
●シヴァ教再認識派の知我不異論と仏教無我論批判 川尻洋平(論文)
●アートマンの言語的研究:序論 湯田豊(論文)
●善通寺学振興会紀要24号
●韓非子 西野広祥・市川宏 翻訳 徳間書店
●荀子 杉本達夫 翻訳 徳間書店
■参考サイト
●Wikipedia
●WIKIBOOKS
●Wikiwand
●ニコニコ大百科
●ピクシブ百科事典
●コトバンク
●goo辞書
●インド思想史略説
●過疎の山里・春野町で暮らす
●徒然草子
●金寶山瑞龍寺
●グレゴリウス講座
●phantaporta
●TANTANの雑学と哲学の小部屋
●HimalayanYogshala
●FLARE PLUS
●METAS ADVENTIST SCHOOL
●浄土宗大辞典
●アセンションへの道 PartII
●Sita★Rama
●広済寺ホームページ
●manapedia インドで仏教が衰退した理由とは!?
●神様の名前図鑑
●伝説の魔物と世界の神々