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密教の瞑想法――五相成身観 中編

五相成身観の背景

アートマンのイメージ

 ウパニシャッドにおいて、アートマンは心臓にあると考えられていました。

 この『アートマン(Ātman)』は『an(呼吸)』、あるいは『tanū(身体/※tmanに関連)』に由来する語であり、そこから転じて『生命・霊魂・自我・実在者』などの意味を持つようになったと考えられています。

 アートマンは宇宙の根本原理『ブラフマン』と本質的に同一であるとされていますが、ブッダが生きていた頃までは様々な解釈がなされていたそうです。

 

●画像引用 Flowering of Bliss Supreme

ゴーダマ・シッダッダ(ブッダ)

 仏教の開祖『ゴータマ・シッダッダ』は、宗教家として『ブッダ(बुद्ध/buddha/漢音:仏陀/意味:目覚めた人)』と呼ばれています。

 『ブッダ』は元々は優れた修行者や聖者への敬称でしたが、仏教ではゴータマ・シッダッダの尊称となりました。

 

 ブッダは(修行の過程か、成道後かは不明ですが)ウパニシャッドについても知っていたと思われます。

 ただ、上記の思想の特徴であるアートマンについては否定的(あるいはこだわらない傾向)だったとされています。

 故に仏教では『自我(アートマン)』ではなく『無我(サンスクリット語:अनात्मन/anātman/アナートマン)』が説かれているとか。

 

 ただ、こうした考え方はバラモン教・ヒンドゥー教の視点から見れば、デーヴァ(神々)の敵対者とされるアスラ阿修羅)の思想と見なされました。

  古代インドにおいて、『無我』を解いたのは仏教徒以外では『唯物論者(サンスクリット語:चार्वाक/cārvāka/チャールヴァーカ)』でした。

 バラモン教では唯物論はアスラの思想とされていたので、(仏教側の主張はともかく)仏教もこれと結び付けられるようになったと思われます。

 

●画像引用 Wikipedia

大日如来(だいにちにょらい)

●画像引用 Wikipedia

 『密教の瞑想法――五相成身観 前編』では、『五相成身観(ごそうじょうじんかん)』を実践するための要点を紹介しました。

 中編では、この修行法のルーツについて探ってみたいと思います。

  

 五相成身観は、『大日経(だいにちきょう)』に基づく『五字厳身観(ごじごんしんかん)』とは異なり、いわゆるチャクラ系の瞑想法ではありません。

 精神集中の焦点が、ほぼ『胸』だけになっているからです。

 サンスクリット語の『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』において、この『胸』は『フリダヤ(हृदय/hṛdaya/意味:心臓)』と書かれていました。

 では、なぜ心臓が大事なのか――おそらく、その理由は『ウパニシャッド(उपनिषद्/upaniṣad)』の思想まで遡ると思われます。

 

 ウパニシャッドは、古代インドの宗教文書『ヴェーダ』に関連した約200以上の書物の総称であり、一般的には『奥義書』と訳されています。

 各文献の成立年代はまちまちであり、仏教(紀元前5世紀)以前の時代から16世紀までの広い範囲に及びました。

 その内容も作成された時代によって異なりますが、概して共通しているのは『梵我一如(ぼんがいちにょ)』の思想が説かれていたことです。

 これは、初期のバラモン教に見られるシンプルな多神教祭祀の世界観を超越しようとする試みであり、仏教の開祖である『ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)〈注1〉』にも大きな影響を与えたと考えられています。

 

 『梵我一如』とは、宇宙の根本原理とされる『ブラフマン(ब्रह्मन्/brahman)』と、意識の最奥にある『アートマン(आत्मन्/Ātman)』が本質的に同一であるということです。

 このアートマンは、一般的に『自我』『自己』『真我』などと訳されています。

 

 『初期のウパニシャッド(紀元前800年~紀元前500頃)』の中でも最も古い部類とされる『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド(छान्दोग्योपनिषत्/chāndogya-upaniṣad)』では、以下のようなことが説かれていました〈注2〉。

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 『ブラフマン』とは、人間の内外にある『虚空〈注3〉』のことであり、人間の内にある虚空とは、心臓の内にある虚空のことだ

 『マナ(心)〈注4〉』を本質とするもの――これが即ち心臓の内にある『アートマン』である。

 我が心臓内のアートマンが、すなわちブラフマンである。

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 つまり、アートマンは人間の心臓に宿ると考えられていたようです。

 

 ブッダは紀元前5世紀頃の人物とされているので、おそらく『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』(あるいはこのウパニシャッドに類する思想)を知っていたと思われます。

 ただ、ブッダ自身の『悟り』としては、『梵我一如』を否定、あるいは『梵我一如』のような思想にはこだわらない考え方を持っていたとされています。

 一方、密教では上記の思想を積極的に取り入れた傾向が見られます。

 というか、ウパニシャッド以前のバラモン教的な呪術要素すらも取り込んでいるのですから、『梵我一如』の思想を尊重したとしてもおかしくないでしょう。

 

 五相成身観では、胸(心臓)に『菩提心(ぼだいしん/意味:悟りを求める心)』の象徴である『月輪』をイメージすることになっています。

 ということは、(ウパニシャッドと同じく)五相成身観でも「心臓に大切なもの(意志)がある」と考えられていたことになります。

 ただ、菩提心とアートマンは同一の概念ではありません。

 菩提心のサンスクリット語は『ボーディ・チッタ(bodhi-citta)』となり、『ボーディ』は『悟り』、『チッタ』は『注意・思考・思想・目的・意志・精神・心・知性・理性』など幅広い精神活動を意味しています。

 一方、『アートマン(Ātman)』は、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』では『霊性を持った自我(霊魂)』のような存在として説明されていました。

 ただ、両者は精神に関連する単語であることは共通しており、そこから密教僧たちが菩提心とアートマンを結び付けた可能性も考えられます。

 

 上記を踏まえた上で菩提心をアートマンに相当する存在だと仮定するなら、人間の内にある『月輪=菩提心(密教的なアートマン?)』が、『金剛界(=大日如来)』という密教的なブラフマンと一体化〈注5〉することにより、『悟り』への道が開かれるという『五相成身観の論理』が成立するのです。

※この内容を端的に言うなら、『悟りを求める人間の精神(=霊魂)』が『宇宙(の真理=法則)』と繋がることにより、仏陀に成れるということ。

 

 先述した通り、ウパニシャッドではアートマンとブラフマンは本質的に同一とされているのですから、菩提心を密教的なアートマンだと解釈するなら、この理屈に違和感はありません。

 つまり、金剛頂経で語られた『五相成身観による悟り』の根拠とは、密教的に変換された『梵我一如』の思想に基づく世界観だと考えることもできるのです。

 ただ、密教に見られる『梵我一如』思想的な傾向は、「密教は仏教ではない」といわれる理由の1つとなりました。

 

 金剛頂経にて記された五相成身観の由来は、『色究竟天(しきくきょうてん)〈注6〉』という最高の天界にいた大日如来が、悟りを求めて『不動三昧(ふどうざんまい)』という修行〈注7〉に励んでいる『一切義成就菩薩(いっさいぎじょうじゅぼさつ)』のもとに降臨――「そのような修行では悟りを開けない」と語りかけた上で、『悟りを開くための修行法(=五相成身観)』を教えたということになっています。

 

 この一切義成就菩薩とは、金剛頂経における『悟りを開く前のブッダ』という設定〈注8〉にされていますが、その内容がブッダが重要視しなかった『梵我一如』的な思想になってしまったのは、なんとも皮肉な話です。 

 ただ、ブッダ的(原始仏教的)ではないことを(真理についての)正否の判断基準とするのは不適切でしょう。

 ブッダだろうが、イエス・キリストだろうが、その言説として伝えられていることが、必ずしも正しいとは限らないのですから。


【注釈 1~7】

 

■注1 ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)

 『ゴータマ・シッダッタ(Gotama Siddhattha)』はパーリ語におけるブッダの本名。

 サンスクリット語では『ガウタマ・シッダールタ(गौतम सिद्धार्थ/Gautama Siddhārtha)』の名称となる。

 

■注2 『チャーンドーギヤ・ウパニシャッ』には以下の記述あり(ブラフマンとアートマンについて)。

 かの『梵(ブラフマン)』とは何かといえば、人間の外にある『虚空』のことである。

 人間の外にある虚空とは、人間の内にある虚空で(も)ある。

 そして、人間の内にある虚空とは、心臓内の虚空に他ならない。

 これこそ充実したもの、不変なものである。

 かのように知る者は、充実した不変なる福祉を得る。

 

 『意(マナ)』を本質とし、生気を体とし、光明を色相とし、真実不虚の思慮(サンカルパ)となし、虚空を主体とし、一切の行為を含み、一切の嗅覚と一切の味覚を具え、一切万有を保持し、語なく、愛着なきもの――これが即ち、我が心臓の内部にある『アートマン(自我)』である。

 

■注3 虚空

 『虚空(サンスクリット語: आकाश/ākāśa)』は、インドで『虚空』『空間』『天空』を意味する単語(男性名詞)。

 インド哲学において、物質の根源とされた『五大』の1つ。

 

■注4 マナ(心)

 『マナ』あるいは『マナス(मनस/manas)』とは、サンスクリット語でいう『心』のこと。

 漢訳の仏典では『意』、あるいは『末那識(まなしき)』と訳される。

 『リグ・ヴェーダ』においては不滅の霊魂を言い表わす語であった。

 バイシェーシカ学派では、マナスは原子として身体に1つだけ存在し、アートマンと感官との媒介をなすものとされた。

 『アディヤートマ・ラーマーヤナ』や『マーンドゥーキヤ・カーリカー』では世界の動力因とも考えられている。

  

■注5 『金剛界(=大日如来)』という密教的なブラフマンと一体化

 『和訳:金剛頂経(出版:東京美術)』の著者である津田眞一氏は、その後書きにおいて、金剛頂経の大日如来を『リグ・ヴェーダ』で言及された『宇宙的巨人』である『プルシャ(原人)』と比較した。

 プルシャとは、『ヒラニヤ・ガルパ(黄金の胎児)』と同じくブラフマンのルーツとなった存在であり、インド哲学の1つである『サーンキヤ学派』では世界の根源――すなわちブラフマンと同等の存在とされている。

 

 ■注6 『色究竟天(しきくきょうてん)』

 『色究竟天』は、仏教において色界及び各種の天界における最高の天界のこと。

 上記の天は、仏教におけるヒンドゥー教の大神シヴァと同一の神『マヘーシュヴァラ=大自在天(だいじざいてん)』の住居でもある。

 なお、金剛頂経系の経典である『理趣経(りしゅきょう)』では、大日如来は『六欲天(ろくよくてん)』の最上位である『他化自在天(たけじだいてん)』が住居となっている。

 『他化自在天』は、『シヴァ(の仏教的には悪魔的と解釈される部分)』がルーツといわれる『第六天魔王(だいろくてんまおう)』の住居であることから、金剛頂経系の大日如来は特にシヴァとの関連を思わせる。

 

 『マヘーシュヴァラ』とは、『マハー(महा/mahā/意味:偉大な)』と『イーシュヴァラ(ईश्वर/īśvara/意味:主宰神)』の2つの語を合わせて連声化した発音の名前であり、『イーシュヴァラ』は『自在』と漢訳された。

 密教では、シヴァが大日如来の使者である『降三世明王(ごうざんぜみょうおう)』に調伏された後、教化されたという神話まであるが、実際には密教の教義は(後期にいくほど)シヴァ系の思想に影響を受けていったようだ。

 

■注7 『不動三昧(ふどうざんまい)』という修行

 『不動三昧(サンスクリット語:आस्फानक समाधि/āsphānaka-samādhi/アースパーナカ・サーマディ)』とは、一切の身・語・心の状態を止め、呼吸すらも止めた完全な静止状態を目指す修行法。

 

■注8 この一切義成就菩薩とは、金剛頂経における『悟りを開く前のブッダ』という設定

 金剛頂経では、歴史上の宗教家であるブッダを(同経典のシナリオに沿った)『密教修行実践者のモデル』として登場させた。

金剛頂経と金剛界大日如来のルーツ

金剛薩埵(こんごうさった)

 『金剛薩埵(サンスクリット語:वज्रसत्त्व/Vajrasattva/ヴァジュラサットヴァ)』は、大日如来の教えを受け継いだ真言密教(真言宗の密教)の第二祖とされる重要な菩薩です。

 普賢菩薩と同体とされ、諸菩薩の筆頭格とされる金剛薩埵は、そのルーツとして仏教の守護神『執金剛神/しゅこんごうじん(サンスクリット語:वज्रपाणि/vajrapāṇi/ヴァジュラパーニ)』まで遡ることができます。

 このヴァジュラパーニは、元々は『ヤクシャ(यक्ष/yakṣa/夜叉)』あるいは『グヒヤカ(गुह्यक/guhyaka)』と呼ばれる下級の鬼神だったとか。

※グヒヤカの漢訳は『密迹(みっしゃく)』となります。

 

 上記の金剛薩埵のように、密教を含めた大乗仏教では(ヒンドゥー教において)悪魔・鬼神とされた存在(=非アーリア人の神々)が、仏や菩薩、あるいはその守護者として、少なからず取り入れられています。

 

●画像引用 仏像の小部屋

マハーバリ

 画像中央の人物がアスラ王マハーバリであり、左側の人物が矮人『ヴァーマナ』に化身したヒンドゥー教の大神ヴィシュヌ、右側の人物がマハーバリの師である『シュクラ(アスラ族の導師)』です。

 

 マハーバリに敗北したデーヴァ(神々)を不憫に思った『アディティ(神々の母)』は、ヴィシュヌに助けを求めました。

 彼女の要請に応じたヴィシュヌは、アディディと彼女の夫『カシュヤパ』の息子『ヴァーマナ』として転生――その目的は、アスラに奪われた世界を取り戻すためです。 

 

 ある時、ヴァーマナはマハーバリを讃える祭りに赴き、そこで人々に施しを与えているこのアスラ王と対面します。

 マハーバリがヴァーマナに望みの物を問うと、ヴァーマナは「自分が3歩進んだ分の土地」と答えました。

 マハーバリはささやかな望みだと思って快諾しましたが、彼の師であるシュクラはヴァーマナの正体がヴィシュヌであることを見抜き、反対しました。

 法を重んじるマハーバリは、「約束を破ることはできない」と言ってその忠告を受け入れませんでした。

 その後、ヴァーマナは巨大な姿となり、1歩目で地上の全てを、2歩目で空界と天界の全てを跨ぎました。

 これで(3歩目として)踏みおろすべき場所がなくなってしまったので、マハーバリは自分の頭を『3歩目の領地』として差し出しました。

 ヴィシュヌとしての本性を現したヴァーマナは、この行為に感服し、マハーバリに地下世界『パーターラ』の第3層であるスタラを領地として与えました。

 

 この神話には複数のパターンが存在し、ヴィシュヌの3歩目によってマハーバリは死亡し、その体が純粋な信仰心の力で様々な宝石になったという伝承もあるそうです。

 ヴィシュヌが与えたという『地下世界(の第3層)』が、実は『冥界』のメタファー(隠喩)だとしたら、上記の説の方が説得力があるかもしれません。

 

 この神話は、どう考えてもアスラ側の非を指摘することができないどころか、逆にヴィシュヌの悪辣さが目立ってしまいます。

 そのため――「マハーバリが民に優しかったのは、彼の唯一の欠点であるエゴのためであり、ヴァーマナ(ヴィシュヌ)はそれを解き放ったのだ」――という一般人には理解し難い説明がされることもあるようです。

 人間本位の視点で見るならば、アスラが善、デーヴァが邪悪な存在に見えるところでしょう。

 

 バラモン教・ヒンドゥー教とルーツが同じであるゾロアスター教では善悪が逆転しており、アスラは『善神(アフラ)』、デーヴァは『悪神(ダエーワ)』とされています。

 ゾロアスター教は世界で初めて善悪二元論を主張した宗教ですが、こちらの方がまだ人間(民衆)側の感覚に近い思想となっています。

 ゾロアスター教を信仰していたアケメネス朝などのペルシア帝国が統一国家・大帝国を築けたのに対し、バラモン教・ヒンドゥー教を信仰の中心としていたインドの諸国家ではそれができませんでした。

 上記の理由としては、思想面の差も原因の1つかもしれません〈注14〉。

 

●画像引用 Wikipedia

 前章では五相成身観のルーツについて考察しましたが、今度は視点を変え、その修行法を教える神格が、なぜ『大日如来』という仏とされたか――ということについて探っていきましょう。

 なお、ここでいう大日如来とは、金剛頂経系の経典に由来する『金剛界大日如来(こんごうかいだいにちにょらい)』となります。

  

 『密教の瞑想法――五相成身観 前編』で述べた通り、真言宗の根本経典とされる大日経と金剛頂経では、成立した時代と場所が異なります。

 大日経は(所説あるものの)7世紀中頃の西インドで成立〈注8〉したと考えられています。

 一方、金剛頂経(の基本形)は、7世紀中頃から末頃にかけての南インド(おそらくはアマラーヴァティー)で成立したようです。

 

 密教の伝承では、この教えがインドで起こり、中国を経て日本に伝えられるまでに、8人の偉大な密教指導者『真言八祖(しんごんはっそ)』がいたとされています。

 この八祖は、『付法(ふほう)の八祖』と『伝持(でんじ)の八祖』の2種類で分けられており、『付法の八祖』が真言宗の正統な系譜を示しているそうです。

 『付法の八祖』は実在しない神的存在も含まれているため、人間のみを対象とした『伝持の八祖』も考えられたのですが、この記事で考察のポイントとなるのは『付法の八祖』に纏わる話です。

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■付法の八祖

 

①大日如来(だいにちにょらい)

金剛薩埵(こんごうさった)

龍猛(りゅうみょう)

龍智(りゅうち)

金剛智(こんごうち) 

不空金剛(ふくうこんごう) 

恵果(けいか) 

空海(くうかい)

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 『付法の八祖』を並べると、上記の通りになります。

 大日如来と金剛薩埵は密教の神的存在であり、歴史上の人物しては存在しません。

 龍猛と龍智は(密教僧としては)極めて伝説的な人物であり、明確に密教僧として実在したのは、5代目の金剛智からです〈注9〉。

 

 伝説によると、大日如来が説いた教えを菩薩の筆頭である『金剛薩埵(=普賢菩薩/ふげんぼさつ)』が結集(けつじゅう)し、保管した場所が『南天鉄塔(なんてんてっとう)』であるとされています。

 この塔で語られた大日如来の教えが、金剛頂経(あるいは大日経)として記されたというわけです。

 南天鉄塔とは、かつて南インドにあったといわれる鉄製の仏塔であり、密教世界における大元の聖域となります。

 この伝説を信じるなら、(南インドで成立した)金剛頂経こそ、正統な大日如来の教え〈注10〉ということになりそうですが、そのこととは別にもう1つ重要な観点があります。

 それは、大日如来の名前です。

 

 大日如来のサンスクリット名は『マハーヴァイローチャナ(महावैरॊचन/Mahāvairocana)』となります。

 この名前――ヴァイローチャナとは『ヴィローチャナ(विरोचन/Virocana)の息子』を意味し、インド神話では『あるアスラの王』のことを指します。

 (同神話において)世界の覇権を巡り、デーヴァ(神々)の王『インドラ』と争っていたヴィローチャナは、インドラに敗北し、戦死してしまいました。しかし、その霊魂は息子に宿り、新たなアスラ王となったのです。

 そのアスラ王が、ヴァイローチャナ(=ヴィローチャナの息子)である『マハーバリ(महाबलि/Mahābali )〈注11〉』です。

 

 このマハーバリは、父の仇敵だったインドラを打ち破り、『三界(天界・空界・地界または天界・地上界・地下界のこと)』の支配者となりました。

 マハーバリは、インド神話では悪魔扱いされるアスラでありながら、その統治においては「喜びに満ち、世界はあまねく光り輝いて富にあふれ、三界のどこにも飢える者はいなかった」とか。

 南インドケーララ州では、「(マハーバリの統治では)全ての民が1つになり、カーストによる差別もなかった」という伝承も残っているそうです。

 

 マハーバリは、最終的にヒンドゥー教の大神ヴィシュヌの化身である矮人ヴァーマナに欺かれ、国を奪われてしまいました〈注:左画像参照〉が、その政治姿勢は(人類にとって)神以上に理想的でした。

 そのためか、(ヒンドゥー教が盛んなインドにおいても)ケーララ州ではマハーバリは崇拝され、『オナム』という祭りが催されています。

 このマハーバリ崇拝の歴史は古く、発祥を辿るのが難しいそうです。

 賢明な読者の方はもうお気づきかもしれませんが、『密教経典の金剛頂経』と『アスラ王マハーバリ』は、共に南インドに関係しているのです。

 この南インドには、バラモン教を崇拝するアーリア人に押しやられた、古代インドの原住民(ドラヴィダ人など)が数多く住んでいるといわれています〈注12〉。

 

 デーヴァ(神々)の敵対者であるアスラは、そのルーツとして2パターンが考えられています。

 1つがインド・イラン共通の神話時代に遡る神格〈注13〉、もう1つがインダス文明を築いたとされるインド土着の人々が崇拝した神格です。

 おそらく、マハーバリの場合は後者に関係していると思われます。

※イラン方面の神々と非アーリア人の神々が共にアスラと呼ばれるようになったのは、両神を崇拝する宗教の教義・思想に共通点があったからかもしれません。

 

 原理主義的な仏教徒なら、大日如来は『宇宙の真理そのもの』であり、ヒンドゥー教の神に敗北したようなアスラ王との繋がりは否定するところでしょう。

 ただ、伝承にあるマハーバリの善政は、原始仏教の頃から説かれてきた『平等』の思想を見事に体現しています。

 そういう意味において、三界を征服した後のマハーバリはまさに『転輪聖王(てんりんじょうおう)』――仏教(を含めた古代インドの宗教)が理想とする王――と呼ぶに相応しい君主でした。

 そして、大日如来もまた王者の姿として描かれているのです。

 

 なお、仏教の六道説では、アスラ(阿修羅)は『修羅界』の住人として悪鬼のような扱いになっていますが、それに先立つ五道(五趣)説に『修羅界』は含まれていません。

 何より、ヒンドゥー教の視点では仏教は『アスラの教え』と見なされていることを考えても、仏教とアスラには浅からぬ関係がありそうです。

 

 このように、神話的・歴史的なルーツだけでもマハーバリ(ヴァイローチャナ)と大日如来を結ぶ要素が見られるのですが、実は思想面でも密教の元となる一端を、このアスラ王から窺うことができるのです。 

 

 次回の後編では、さらに思想面を深掘りし、密教とアスラ的思想の関係を考察したいと思います。


【注釈 8~14】

 

■注8 大日経は(所説あるものの)7世紀中頃のに西インドに成立

 大日経は7世紀中頃の西インドで成立したと考えられているが、他にはアフガニスタンの『カーピシャ(迦畢試国)/パルヴァーン州』、中インドの『ナーランダ』、西南インドの『ラーター(羅荼国)』、北インドの『カシミール』などで成立したという説もある。

 また、いつ成立したかについても種々の説があり、最も古くみる説では500年頃という説もあるが、これは余り一般的ではない。

 

■注9 明確に密教僧として実在したのは、5代目の金剛智から

 龍猛菩薩は『』の概念を理論付けした大乗仏教の大家『龍樹(りゅうじゅ)』とされているが、実際は同名異人という説も強い。

 龍樹は『中観派(ちゅうがんは)』という大乗仏教の学派の祖として知られているが、密教を説いたという話はほぼ聞かないからだ。

 龍猛菩薩の後継者とされる龍智菩薩は、極めて神話的な人物である。

 神通力に優れ、700歳まで生きるほどの長寿を得て、金剛智に密教を教えたとされているが、客観的には信じ難い。

 2世紀生まれの人物である龍猛(龍樹)と、密教僧として実在した金剛智(671年~741年頃)を繋ぐ人物が必要だったので、龍智が考えられたというのが自然な推論だろう。

 ただ、密教は最初から日本の真言宗のような教義ができあがっていたわけではない。

 金剛智に至るまで、長い年月をかけて実践と思索が積み重ねられてきた。

 その役割を担った密教僧たちの事績の集約が、『歴史上の名僧である龍猛(龍樹)』と『超人的な伝説を残す龍智』に仮託されたと考えることもできる。

 

■注10 金剛頂経こそ正統な大日如来の教え

 台密(天台宗の密教)では、『大日経』を発見した者は『北インドの薪をとる木こり』――つまり『場外相伝(南天鉄塔ではない外部での相伝)』とし、金剛頂経のみが塔内相承であると主張した。 

 空海の場合は『教王経開題(教王経の解説)』にて、「この経及び大日経は並びにこれ龍猛菩薩、南天鉄塔中より誦出する所の如来秘密蔵の根本なり」と決択した。 

 『金剛頂経』が南天鉄塔より伝えられたという伝説は『金剛頂経義訣』にて説かれているが、『大日経』については言及されていない。そのため、東密(真言宗の密教)でも『大日経』の出所については論議がある。 

 

■注11 マハーバリ(महाबलि/Mahābali )

 『Wikipedia』をはじめ、各サイトでは『マハーバリ』という名前が散見されるが、そのデーヴァナーガリー文字の表記を読むと『マハーバリー』となる。

 故に本ブログでは『マハーバリー』の名前で表記していたが、2021年2月20日より『A Sanskrit English Dictionary(サンスクリット語の大辞書)』の記述に基づき、『マハーバリ(サンスクリット語:महाबलि/Mahābali )』の表記で修正した。 

 

■注12 アーリア人に押しやられた、古代インドの原住民(ドラヴィダ人など)

 従来の認識では、アーリア人は一部のドラヴィダ人を支配し、彼らを『シュードラ(奴隷)』にしていたと考えられていたが、近年の研究では、アーリア人・ドラヴィダ人共に様々な階級(カースト)に分かれていたことが発覚したらしい(注:Wikipedia『ドラヴィダ人・略史』より)。

 上記の件は、アーリア人を積極的に迎え入れたドラヴィダ人もおり、この両者で古代インドの社会を形成したことを示しているのかもしれない。

 ただ、南インドにおいてドラヴィダ人の人口が多いことを考えると、そうした者たちは多い方ではなく、大部分は不遇を受けたり、インド亜大陸の南方や他の周辺に逃れていったのではないだろうか。

 

 なお、ドラヴィダ語シュメール語には共通性が見られるという議論があり、インダス文明メソポタミアから移動した人々が築いたのではないかという説もある。

 

■注13 インド・イラン共通の神話時代に遡る神格(アスラのルーツ)

 ヴェーダ神話の時代では、デーヴァとアスラは(ヒンドゥー教のように)善悪の区別はされていなかった。

 両者は共に『インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派の人々=(狭義の)アーリア人』が崇拝した神々である。

 つまり、元々は同じ宗教観を共有していたアーリア人が、時代が下り、インド方面とイラン方面で大きな隔たりが生じたことで、アスラが悪魔化されるようになったと思われる。

※イラン方面ではアスラは『アフラ』と呼ばれ、この地の宗教であるゾロアスター教では『アフラ・マズダー』という最高神として崇拝された。

 

 アスラの悪魔化に拍車をかけたのが、インド土着の非アーリア人が崇拝した神々までアスラと呼ばれるようになったことだろう。

 上記の理由としては、イラン方面のアーリア人の宗教(ゾロアスター教)とインド土着の宗教が、(バラモン教・ヒンドゥー教とは異なり)共に『もの(物質)』を卑下しない傾向があったからかもしれない。  

 

■注14 バラモン教・ヒンドゥー教を信仰の中心にしていたインドの諸国家では統一国家・大帝国を築けなかった

 古代インドの統一国家であるマウリヤ朝では、仏教やジャイナ教などの非バラモン教系の宗教も保護されていた。

 これには、アショーカ王などが同宗教を信仰していたというだけでなく、伝統的なバラモン階級の権勢を弱める意図もあったと思われる。

 また、他のインドの統一王朝はイスラム系だった。

 ヒンドゥー教(バラモン教の後継宗教)を尊重した王朝では、グプタ朝の領土が最も広大だったが、その範囲は北インドに留まった。

 そして、インド発祥の王朝がインド亜大陸を遥かに超えてイラン方面まで領土を征服することはなかったのだ。

 

 古代インドの技術力は、(ウーツ鋼を開発するなど)同時代では高い水準にあったが、正統派のバラモン主義では実学・各種技術が(アスラ、ラークシャサなどの悪魔・鬼神を信仰する)イラン系民族や先住民族の知識・技術とされ、軽視される傾向にあった。

 この弊害は時代を下ることに拡大し、やがてインドは(20世紀半ばに独立するまで)外部の国家に征服・支配されることが常態になってしまった。

参考・引用

■参考文献

●和訳 金剛頂経 津田真一 編著 東京美術

●真言宗教相全書5 金剛頂経(上) 三井淳司 執筆、乾仁志 編集、宮崎宥勝 監修 四季社

●和訳 理趣経 金岡英友 編著 東京美術

●五相成身觀の西藏傳譯資料に就いて 酒井紫朗 著(論文)

●インド密教における曼荼羅の変遷 黒木賢一 著(論文)

●シヴァ教再認識派の知我不異論と仏教無我論批判 川尻洋平(論文)

●アートマンの言語的研究:序論 湯田豊(論文)

●ウパニシャッド 佐保田鶴治 著

●リグ・ヴェーダ讃歌 辻直四郎 訳 岩波文庫

●マハーバーラタ C・ラージャーゴーパーラーチャリ・奈良毅・田中嫺玉 訳 

●マハーバーラタ 山際素男 編著 三一書房

●ヒンドゥーの神々 立川武蔵・石黒淳・菱田邦男・島岩 共著 せりか書房

●梵和大辞典  荻原雲来 編纂 講談社

●A Sanskrit English Dictionary M. Monier Williams 著 MOTILAL BANARSIDASS PUBLISHERS PVT LTD

 

■参考サイト

●Wikipedia

●WIKIBOOKS

●Wikiwand

●ニコニコ大百科

●ピクシブ百科事典

●コトバンク

●goo辞書

●アニオタWiki

●南インド・ケーララ州の歌文化について 

●仏像の小部屋

●アセンションへの道 PartII

●広済寺ホームページ

●造佛記 – ZOUBUTSUKI- ~RECORD OF MAKING BUDDHA STATUE