メルカルト
メルカルトはフェニキア人の主要都市ティルスの都市神でした。ティルスの植民都市であるカルタゴの神でもあります。
その名前は『メルク・カルト(MLK QRT:都市の主)』に由来し、語源的な関連から旧約聖書では『モロク』の名前で呼ばれたと思われます。
戦争や自然災害などの国家的危機の際、フェニキア人はこのメルカルトやバアル・ハモンなどの神に、主に子供を生贄として捧げていたことが歴史的資料に記録されています。
そして時代が経つにつれて、国家的危機などに関係なく、フェニキア人社会では人身御供が習慣化していったようです。
なお、ギリシャ人とローマ人はこの神をヘラクレスと同一視しました。
●画像引用 エンサイクロペディア
エジプト神話の水神 ヌン
●画像引用 Wikipedia
ギリシャ七賢人
ギリシャ七賢人(ホイ・ヘプタ・ソフォイ)とは、紀元前7世紀から紀元前6世紀頃において、賢者と呼ばれた古代ギリシアの人物たちです。
七賢人の挙げられる人物は古代の書物において異なる場合がありますが、タレスは必ずその中に入っていました。
●画像引用 Wikipedia
哲学者タレスの話の続きとなります。
アルケー(万物の根源)は『水』だと主張し、それまで常識とされた神話的世界観に一石を投じたタレスですが、何故、彼はそのようなことをしたのでしょうか。
単純に、彼の高度な知性と理性が不合理な神話を許容しなかったからだと言えばそれまでの話ですが、どうもそれだけではなかったような気がします。
前編でも述べた通り、タレスはフェニキア出身――しかもその名門の家系(テリダイ一族)から生まれたそうです。
哲学史家のディオゲネス・ラエルティオスの記録によれば、タレスは政治活動に従事した後に、自然の研究に関わるようになったとか。
哲学者や数学者としての面ばかりが目立ち、見逃されがちですが、タレスが取り組んでいた『政治活動』というのは一体何だったのでしょうか?
タレスの実家だというテリダイ家が、フェニキアのどの都市に住んでいたは、資料がないのでわかりません。
ただ、フェニキア人――しかもその名門の家ともなれば、おそらくはかの悪名高い人身御供の儀式〈注:左図・メルカルトを参照〉を行っており、タレスも幼少の頃にその光景を見ていたはずです。
フェニキア人が人身御供に対して熱心だったのは、彼らの神話的な世界観によるものと思われますが、理性的なタレスがそれに反発し、嫌悪感を示したことは容易に想像できます。
タレスが従事したという政治活動も、残酷な儀式を止めさせようとしたことに関連しているのかもしれません。
そしてこの志は実現できず、タレスは故郷に失望して最終的にミレトスに移住した――このような可能性も考えることができるでしょう。
タレスが思い描いていた神は、故郷(フェニキア)の神々のように残酷でも強欲でもない、人間的なあり方を超えた高次な存在だったと思われます。
そんな彼が至高の存在と『水』を結び付ける発想を得たのは、エジプトに訪問し、その地の神官たちと過ごしたことに要因があるようです。
古代エジプトでは『ヌン』という始原の神が崇拝されていました。
ヌンは原初の大洋や混沌(カオス)が擬人化された神であり、ヘリオポリス神話では創造神アトゥムを生み出した原初の丘の名前でもありました。
タレスの格言には「大地は水の上に横たわっている」というのがありますが、これはエジプト神話とほぼ同形の記述になっています。
数学などもそうですが、タレスはエジプトから多くのことを学び感化されていったようです。
そしてエジプトの神である『ヌン=水の化身』に万物の根源的な姿を見たのではないでしょうか。
上記のことに加え、タレス自身の感性的としても、『水』という存在に対し、何か神秘性を感じていたと思われます。
『水』には決まった形がなく、状況に応じて個体・液体・気体など様々な相を見せます(状態変化)。
余談になりますが、古代中国の軍略書(兵法書)である『孫子』にも、『水』を例えにした以下の言葉があります。
「兵に常勢(じょうせい)無く、水に常形(じょうけい)無し。能く敵の変化に因りて勝ちを取る者、之を神と謂う 」
(現代語訳:水に定まった形がないように、戦闘にも定まった形がない。相手に応じて変化し、勝利をおさめてこそまさ霊妙と評し得るのである)※孫子:虚実篇より。
上記の通り、タレスだけでなく孫子(孫武)のような東洋の古代軍事思想家までも、無限の変化を表現するのに『水』の単語を必要としたのです。
哲学者にして自然研究家だったタレスが、孫子以上に『水』に対して深い洞察に至ったのは当然のことでしょう。
●「無形であればこそ全てであり得る」という『水』の性質。
●「エジプトの始原神たるヌンは水神」という神話。
この2つの事柄は、タレスの頭脳をして、『水』を『アルケー』とする思想へ導くための重要な道標になったことでしょう。
皮肉なことに、その思想は故郷であるフェニキアの神々、そしてフェニキア神話に深く関連していたギリシア神話の世界観をも否定することに繋がったのです。
そしてタレスより始まるとされたギリシア哲学は、人間社会を支配する古代宗教と哲学者たちとの対立を次第に生み出すことになりました。
そこには、古代人の心に宿っていた『欲に塗れた神々』という神的世界観を、シンプルで汚れ無き『始原の水』へと回帰させようとしたタレスの意志が込められていたのかもしれません。
以上、『ギリシア哲学の世界』シリーズの最初を飾るタレスの思想でした。
ここまで読んでいただいた皆様に心から感謝致します。
次回はニーチェにも大きな影響を与えた『火』の哲学者――ヘラクレイトスの思想に触れたいと思います。
執筆完了までお待ちを!
参考・引用
■参考文献
●現代思想としてのギリシア哲学 古東哲明 著 講談社選書メチエ
●ギリシア哲学者列伝(上) ディオゲネス・ラエルティオス 著 岩波文庫
●中国の思想 第10巻 孫子・呉子 村山孚 訳 徳間書店
■参考サイト
●Wikipedia
●ENCYCLOPEDIA
●世界史の窓
●中学受験 プロ講師ぷろぐ
●資本論ワールド
●鈴呂屋書庫
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