ギリシア七賢人の1人 タレス
●画像引用 Wikipedia
イオニア
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タレスの定理
参考図①(左)と参考図②(右)
哲学者タレスは、実は中学校の数学の教科書に登場します。
上記の『タレスの定理』は、「半円に内接する角は直角である」という定理です。
タレスが円周上の点と円の中心を結び、2つの二等辺三角形を作ってこの定理を証明したために、この名前がついたそうです。
証明は以下の通り。
・点Pと中心Oを結ぶ補助線を引く。
・半径は全て等しいので直線OA=直線OP=直線OB
・故に三角形OAPと三角形OBPは二等辺三角形である。
・参考図②のように2つの二等辺三角形の底角が等しいので、
角OAP=角APO=角ア
角OBP=角BPO=角イ
~となる。
・三角形の内角の和は180度になるので、
角ア+角ア+角イ+角イ=180度
⇒2(角ア+角イ)=180度
⇒角ア+角イ=90度
・故に角BPA=90度
――以上、タレスの定理の証明でした。
ちなみに『タレスの定理』と呼ばれるものは5つあるとか。
なお、ブログ主は理系の人間ではありませんし、数学が得意というわけでもありません。
故に数学的なことに言及するのはこれが最初で最後になるかもしれません(Q.E.D.?) (*﹏*๑)疲……
●画像引用 中学受験 プロ講師ぷろぐ
当ブログのテーマの1つ――思想に関する最初の記事となります。
古代において、ギリシア哲学が誕生した背景には様々な要素があるものの、まずはそれを担った人物から語りたいと思います。
「汝自身を知れ(グノーティ・サウトン)」
1人目は、この有名な箴言の作者とされるタレスからです。
哲学の創始者といわれている歴史上の人物はタレス/ターレス(紀元前624年頃 - 紀元前546年頃)であり、この人物はギリシャの七賢人の1人とされています。
彼はフェニキア出身のセム人であり、元々はオリエント世界で生活していました。
そんな人物が市民権を得てミレトスに住み、ミレトス学派の始祖となるのです。
ソクラテス以前の哲学者の全てがそうであるように、タレス自身が直接書いた著作・記録は残っておらず、古代の著作・記録でタレスに言及したもの(断片)からその思想を推察することしかできません。
タレスはフェニキア人の名門――テリダイ一族の家系から生まれました。
多才な人物だったようで、特に測量術や天文学に通じ、ヘロドトスによればその知識を用いて日食を予言したといわれています。
また、地に落ちた影と自分の身長とを比較して、ピラミッドの高さを測定したそうです。
タレスの活動したイオニアは小アジアのエーゲ海沿岸に位置します。
イオニアは地理的に東方と西方文化の十字路に位置しており、エジプトやバビロンの数学や自然科学も流入していたと考えられ、そうした文化的素地がタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスなどのミレトス学派が発生する母胎になったと考えられています。
古代ギリシアにおいて、万物の根源は『アルケー』と呼ばれていました。
それまでのギリシアは、ギリシア神話にあるような擬人的な物語の説明で世界が解釈されていましたが、タレスはそのような世界観に反発を抱き、アルケーを『水』だと考えたのです。
良くも悪くも神話ほど明快に世界について述べた世界観はなかなかありません。
荒唐無稽に見えても、面倒な論理を並べられるよりは話が面白く、誰でも取っ付き易い。
しかもご丁寧に死後のことまで教えてくれるのです。
日々の生活で忙しい古代人が、それに対して余り疑念を抱かなったとしても不自然なことではないでしょう。
あるいは古代人は感覚が鋭く、本当に神々や精霊の存在を身近に感じていたのかもしれません。
この考え方の是非は置いておいて、タレスがその時代の常識を逸脱するような思考様式を持っていたことは間違いありません。
そしてタレスが「アルケーは『ヒュドール(水)』だ」と唱えた際、彼の念頭のあったのは、当時の擬人的な神話世界観に対する反発だと思われます。
タレスはミュートス(神話)からロゴス(言葉)へ世界に対する認識の方法を変えようとした――哲学史ではこのようにいわれることもあります。
それは一面において正しいかもしれませんが、古代ギリシアのロゴスは、現代的な意味での『合理性』を必ずしも含んでいるわけではないことには注意が必要です。
タレスとしては、神話で語られるような擬人的な自然の秩序は否定するにしても、その神性自体を否定する意図はなかったと思われます。
「万物の根源は水である」と主張した本意としては――もし神的な高位の次元があるとすれば、それは饒舌な神話で語れるような人間臭い世界ではなく、人間の常識・固定観念を超えた何かではないか――このような認識が彼の内側にあったのではないでしょうか。
つまりこの自然界(宇宙)が根本的な中立性や不可知性に包まれていることを強調したかったのだと思います。
そしてタレスは自然界の本質を『水』という『流動的な存在』で表現しようとしました。
ブログ主の見解としては、タレスが主張する(アルケーとしての)『水』は、『物質的な意味での水(液体)』というよりも、東洋思想で言う「万物の根源は『氣』」という考え方に近いと思いました。
東洋の『氣』も流動的なエネルギーとして解釈されていますが、タレスはそれを『水』のメタファー(比喩)で主張したのだと、ブログ主は考えているのです。
なお、別の哲学者のヘラクレイトスは同様の見解を『火』のメタファーで主張しています。
タレスに始まるといわれる古代ギリシアの哲学者は、言うなれば自然の神性の『脱擬人化』を図ろうとしたともいえます。
これは単に異なる知のパラダイムを提示したいうことに留まりません。
こうした人間の内的世界のパラダイムシフトをギリシャ神話的な表現で例えるなら――ゼウスを筆頭するオリュンポスの神々が死滅し、その秩序が崩壊。神々とその被造物の全てが『原初のカオス(混沌)』に回帰する――そのくらいインパクトがあることです。
タレスのこうした考え方は、本人が自覚していたかどうかはともかく、当時としては『神々への冒涜』的な要素――つまり宗教論争的な意味もあったのです。
では、何故タレスはアルケーを『水』と表現したのか。
次回はそれについて考察したいと思います。
参考・引用
■参考文献
●現代思想としてのギリシア哲学 古東哲明 著 講談社選書メチエ
■参考サイト
●Wikipedia
●世界史の窓
●中学受験 プロ講師ぷろぐ
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■ギリシア哲学の世界 その1 タレス 後編